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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 9

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【右丁】  《割書:五人の石塔(せきたふ)あり柳(やなき)の井(ゐ)といふは同所(とうしよ)|南(みなみ)の坂通(さかとほ)りにある名泉(めいせん)なり》  飯倉天満宮(いひくらてんまんくう)《割書:天神谷(てんしんたに)にあり當山(たうさん)の地主神(ちしゆしん)なり昔(むかし)飯倉(いひくら)の神明(しんめい)も此地(このち)にあり|しとなり社地(しやち)に梅樹(はいしゆ)を多(おほ)く栽(うゑ)て二月の頃(ころ)一時(いちし)の荘観(さうくわん)【壮】たり》  《割書:宝松院(ほうしやうゐん)|別當(へつたう)す》茅野天満宮(かやのてんまんくう)《割書:同所(とうしよ)南(みなみ)の方(かた)松林院(しやうりんゐん)にあり|神像(しんさう)は菅神(くわんしん)の直作(ちきさく)とそ》圓光東漸大師(ゑんくわうとうせんたいし)  舊跡(きうせき)《割書:山下谷(やましたたに)明定院(みやうちやうゐん)にあり是(これ)も當山(たうさん)の別院(へつゐん)なり明定院(みやうちやうゐん)前大僧正(さきのたいそうしやう)定月(ちやうげつ)|大和尚(たいおしやう)明和(めいわ)七年に建立(こんりふ)せらる六間四面の堂(たう)にして戒壇造(かいたんつく)りなり》  圓座松(ゑんさのまつ)《割書:同所(とうしよ)に|あり》圓山(まるやま)《割書:同所(とうしよ)に|あり》辨財天祠(へんさいてんのやしろ)《割書:赤羽門(あかはねもん)の内/蓮池(はすいけ)の中島(なかしま)にあり|本尊(ほんそん)は智證大師(ちしやうたいし)の作(さく)なり》  《割書:右大将(うたいしやう)頼朝卿(よりともきやう)鎌倉(かまくら)の法花堂(ほつけたう)に安置(あんち)ありしか星霜(せいさう)を経(へ)て後(のち)観智国師(くわんちこくし)感(かん)|得(とく)ありて當寺(たうし)宝庫(ほうこ)に納(をさ)めありしを貞享(ていきやう)二年/生誉霊玄(しやうよれいけん)上人此所に一宇(いちう)を》  《割書:建(たて)て一山の鎮守(ちんしゆ)とあかめられ宝珠院(ほうしゆゐん)別當(へつたう)たり中島(なかしま)を芙蓉洲(ふようしう)と号(なつ)く|此所(このところ)門(もん)より外(そと)は赤羽(あかはね)にして品川(しなかは)への街道(かいたう)なり》  子聖権現社(ねのひしりこんけんのやしろ)《割書:山下谷(やましたたに)にあり|清林院(せいりんゐん)別當(へつたう)す》産千代稲荷(うふちよいなり)《割書:観智院(くわんちゐん)にあり昔(むかし)は普光院(ふくわうゐん)|と号(かう)すとなり當寺(たうし)は合蓮社(かふれんしや)》  《割書:明誉檀通(みやうよたんつう)上人の|旧跡(きうせき)なりといへり》阿加牟堂(あかむたう)《割書:東(ひかし)の大門の通り常照院(しやうしやうゐん)にあり|常念佛(しやうねんふつ)の道場(たうしやう)なり》  大門(たいもん)《割書:東に向(むか)ふ當山(たうさん)の総門(さうもん)なり|外(そと)に下馬札(けはふた)を建(たて)らる》御成門(おなりもん)《割書:北(きた)の方/馬場(はゝ)に相對(あいたい)す此所(このところ)|にも下馬札(けはふた)あり》  涅槃門(ねはんもん)《割書:切通(きりとほし)の上にあり恵照院(ゑしやうゐん)に|涅槃像(ねはんさう)ある故(ゆゑ)なるへし》柵門(やらひもん)《割書:山下谷(やましたたに)より赤羽(あかはね)へ出(いつ)る故(ゆゑ)に|また赤羽(あかはね)門ともよへり》  當寺(たうし)旧古(きうこ)は貝塚(かひつか)の地(ち)にありて光明寺(くわうみやうし)と号(かう)せし真言(しんこん)  瑜伽(ゆか)の密場(みつしやう)にして 後小松院(ここまつのゐん)の御願(こくわん)に依(よつ)て草創(さう〳〵)ありし 【左丁】  古刹(こせつ)なりしに至徳(しとく)二年/酉誉(いうよ)上人/移(うつ)り住(ちゆう)するの後(のち)竟(つひ)に了誉(りやうよ)  上人《割書:傳通院(てんつうゐん)《振り仮名:三ヶ月|みかつき》|上人の事なり》の徳化(とくくわ)に帰(き)し寺(てら)を改(あらた)めて三縁山(さんえむさん)増上寺(そうしやうし)と  号(かう)し宗風(しゆうふう)を轉(てん)して浄刹(しやうせつ)とす《割書:事跡合考(しせきかふかう)に出(いた)せる三縁山(さんえむさん)歴代系(れきたいけい)|譜(ふ)に云く當寺(たうし)草創(さう〳〵)之地者(のちは)貝塚(かひつか)》  《割書:今(いま)糀町邊(かうしまちへん)中頃(なかころ)《振り仮名:移_二于日比谷邊_一|ひゝやへんにうつる》後(のち)慶長初(けいちやうのはしめ)《振り仮名:移_二于芝_一|しはにうつる》云々/日比谷(ひゝや)より芝(しは)へ|移(うつ)りしは慶長(けいちやう)三年戊戌八月なり武徳編年集成(ふとくへんねんしふせい)に慶長(けいちやう)三年戊戌/去(いぬ)る》  《割書:天正(てんしやう)十八年辛卯/平川口(ひらかはくち)へ移(うつ)されし増上寺(そうしやうし)を芝(しは)の地(ち)にうつすとあり平川(ひらかは)日(ひ)|比谷(ひや)古(いにし)へ地(ち)を接(せつ)す故(ゆゑ)に混(こん)していふ歟》 東照大神君(とうせうたいしんくん)天正(てんしやう)十八年/始(はしめ)て江戸(えと)の大城(おほしろ)に入らせ給ふとき州民(しうみん)  鼓腹(こふく)し老幼相携(らうえうあいたつさへ)て道路(たうろ)に拝迎(はいけい)し奉(たてまつ)る幸(さいはひ)に寺門(しもん)の前路(せんろ)を  通御(つうきよ)あるにより観智国師(くわんちこくし)も是(これ)を拝(はい)せんとし出(いて)て寺前(しせん)に  あり《割書:是(これ)則(すなはち)比々谷(ひゝや)の|地(ち)にありての事也》時(とき)に師(し)の道貌雄毅(たうほうゆうき)尋常(よのつね)ならさるを見(み)  そなはし給ひ其名(そのな)を問(とは)せられ乃(すなはち)寺(てら)に入て憩(いこひ)給ひ其後(そのゝち)當(たう)  寺(し)を以(もつ)て植福(しよくふく)の地(ち)となし給ひ永(なか)く師檀(したん)の御契約(こけいやく)あり  《割書:御崇敬(こそうけい)あつく屡(しは〳〵)師(し)を営中(えいちゆう)に請(しやう)せられ法要(ほふえう)を聴受(ちやうしゆ)なし給ひ待(たい)するに|礼(れい)を殊(こと)にし是(これ)を親王(しんわう)に比(ひ)せられ師(し)をして乗輿(しやうよ)して殿階(てんかい)に昇(のほ)る事(こと)を》  《割書:得(え)せしむ以(もつ)て永式(えいしき)とす今(いま)に至(いた)り|歴代(れきたい)の住持(ちゆうし)咸(みな)この栄(ゑい)をうく》時(とき)に寺境(しきやう)隘狭(あいけふ)にしてしかも