翻刻
【右丁上段】
武則(たけのり)は出羽国山北俘囚(ではのくにさんほくふしう)の城主(ぜうしゆ)に
て清原真人光頼朝(きよはらのまつとみつより)の弟也 永承(えいせう)
五年 将軍(せうぐん)頼義より加勢(かせい)のことを申
込(こみ)しに早速(さつそく) 領掌(れうぜう)して一 族良等(ぞくらうとう)を
集(つと)へ一万余人を卒(そつ)し栗原郡営(くりはらこほりたむろか)
岡(おか)に至(いた)り将軍に謁(えつ)す此地 坂上(さかのうへ)田村丸
の勢を集(あつめ)し吉例(きちれい)の地(ち)なれば也 爰(こゝ)にて
軍術(ぐんじゆつ)を談(だん)ずる折から白鳩(しろはと)飛(とび)来りて
旗竿(はたさを)の上に羽(は)を休(やす)む是 弓矢(ゆみや)神の
示現(じげん)なりと諸軍 勇進(いさみすゝ)んで貞任(さだたふ)の伯(を)
父(ぢ)良照(りやうしやう)入道の籠(こも)りし小松の柵(さく)をおび
やかさんと民家(みんか)に火をかけし所其火 城中(ぜうちう)
に吹(ふき)こみ敵兵 周章(あわて)さわぐ折から
武則 兵(へい)を発(はつ)して攻寄(せめよせ)しに忽(たちまち)落(らく)
城(ぜう)におよぶなほ追々(おひ〳〵)軍功(くんこう)ありて平均(へいきん)の
のち都(みやこ)に召(めさ)れて鎮守府将軍(ちんじゆふせうぐん)従五
位下を給はり貞任か所領(しよれう)六 郡(ぐん)の押(おう)
領使(れうし)となさる譜代(ふだい)の臣下まで忠功(ちうこう)
の浅深(せんしん)に寄(より)て勧賞(けんしやう)を給はりけり
【右丁下段】
清原武則(きよはらのたけのり)
賤(しづ)の女(め)
が
しづ
はた
布(ぬの)のぬきに
うつ
うの毛(げ)の
ぬのゝほどのせばさよ
【左丁上段】
源(みなもとの)頼実は頼光(らいくわう)の孫 頼国(よりくに)の子也頼
実の知音(ちいん)に説法(せつほう)をよくする僧(そう)の有
けるが檀越(だんおつ)も多(おほ)ければ財(ざゐ)に富(とみ)たりある日
その坊(ばう)に旅僧(たひそう)一人来り宿(やどり)を乞(こひ)ければゆるして
泊(とま)らするに夜(よ)に入り門の戸 荒(あら)やかに叩(たゝく)もの
あり何ごとそと問(とふ)に使(し)の庁(てう)の使(つかひ)也是にやど
する旅僧(りよそう)は世(よ)にしられたる盗人(ぬすびと)也 逃(にか)さば同(どう)
類(るい)たるべし夫(それ)を捕(とらへ)ん為 検非違使(けびいし)の判官(はんぐわん)むか
ひたり早(はやく)明(あけ)よといふ故戸を明けけるに五六人 刀(かたな)
抜(ぬき)つれ主(あるじ)の僧(そう)を押付(おさへつけ)汝(なんぢ)はたらかば刺殺(さしころさ)ん
坊(ばう)中の物のこらず渡(わた)すべしと心の侭(まゝ)にさがし
取て馬(うま)七 疋(ひき)におほせて僧(そう)をも縛(しば)りのせて急(いそぎ)
粟田(あはだ)の山に連行(つれゆき)もし此ことさたせば三日が
うちに殺(ころす)べしと山中に僧(そう)を捨(すて)て行(ゆき)けり扨
頼実は此 夜(よ)月にうかれてあゆみしがかの僧
の泣(なき)居(ゐ)し所へ来あはせ此 由(よし)を聞(きゝ)直(たゞち)に
盗人の跡(あと)を追(おひ)かけ三人を切伏(きりふせ)残(のこ)りになを
負(おは)せ難(なん)なく馬(うま)を引戻(ひきもと)し僧を助(たす)けかへ
りし人也此歌 後拾遺集(ごしういしふ)雑(ざふ)に入る
【左丁下段】
右衛門尉(ゑもんのぜう)源頼実(みなもとのよりざね)
日もくれぬ
人も帰(かへ)
りぬ
山里(やまさと)
は
峰(みね)
の
嵐(あらし)の音(おと)
ばかりして