翻刻
【右頁上段】
大 監物(けんもつ)光行(みつゆき)は清和(せいわ)源氏豊前(ぶぜんの)
守(かみ)光季(みつすへ)の子也 父(ちゝ)は清盛に仕(つか)へければ
平家 滅亡(めつぼう)の後(のち)鎌倉(かまくら)どのこれを誅(ちう)
せんと宣(のたま)ひしに一子光行は京(けう)の事に馴(なれ)
和歌(わか)をよくするを以(もつ)て頼朝(よりとも)召仕(めしつか)ひ
給ふ去(さる)に依(よつ)て光行 父(ちゝ)が一 命(めい)を乞請(こひうけ)
て助(たすけ)たり斯(かく)て其後光行 承久(しやうきやう)に後(ご)
鳥羽院(とばのいん)にめされて関東(くわんとう)の大名へ院(いん)
宣(ぜん)の当名(あてな)又は副書(そへがき)などかきしこと顕(あらは)
れ罪科(ざいくわ)のがれがたく鎌倉(かまくら)へ召下(めしくだ)され
清久(きよくの)五郎 家盛(いへもり)に預(あつけ)らるゝ光行が
嫡子(ちやくし)式部丞(しきぶのぜう)親行(ちかゆき)は鎌倉(かまくら)に仕(つか)
へて父(ちゝ)が罪(つみ)をかなしみ慰(なぐさ)めて
〽きてとふもけふばかりなる旅ごろも
あすは都(みやこ)にたちかへりなん
光行かへし
〽たび衣(ごろも)なれきてをしきなごりには
かへらぬ袖(そで)もうらみをぞする
此 歌(うた)にも後悔(こうくわい)の色(いろ)見へてあはれふかし
【右頁下段】
源(みなもとの)光行(みつゆき)
武隈(たけくま)の
松(まつ)の
緑(みどり)も
うづ
もれて
雪(ゆき)をみきと
や
人に
かたらん
【左頁上段】
式部丞(しきぶのぜう)親行(ちかゆき)は父が科(とが)いかゞなりゆく事
と案(あん)じ居(ゐ)たりしが北条(ほうでう)義時(よしとき)殊(こと)の外(ほか)
怒(いか)りつよく光行(みつゆき)は故右大将家(こうだいせうけ)の高恩(かうおん)
を蒙(かうふ)りながら此 度(たび)の乱行(らんぎやう)に与(くみ)せし
を頗(すこぶる)曲者(くせもの)なればはやく首を刎(はね)らる
べしと下知(げち)ありければ既(すで)にその儀(ぎ)に決(けつ)
す然(しか)るに親行(ちかゆき)北条の館(やかた)に参(まゐ)りて
某(それがし)多年(たねん)奉公の労(ろう)に宥(ゆん)ぜられ父が
死罪(しざい)を恩免(おんめん)下さるべくもし御 聞済(きゝすみ)な
きに於(おい)ては某(それかし)が一命を先(さき)へ召(めさ)るべき旨(むね)
愁訴(しうそ)に及(およ)び其座(そのざ)たちさらず北条
父子 彼(かれ)が孝心(かうしん)を感(かん)じ許容(きよよう)したまひ
刑戮(けいりく)をとゞめ赦免状(しやめんでう)を給はる是を
聞くもの持(もつ)べきものは子なるぞと誉(ほめ)
ざるものはなかりけり光行 父(ちゝ)光季(みつすへ)の
命を助る孝(かう)の徳(とく)是にてしるべし親
行 哥道(かだう)に名ありのち鎌倉(かまくら)営中(えいちう)
にて源氏(げんじ)物語(ものがたり)を講(こう)ず
【左頁下段】
源(みなもとの)親行(ちかゆき)
いたづら
に
行(ゆき)ては
かへる
年月(としつき)
の
つもる
うき身(み)に
ものぞかなしき