東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 14

ページ: 14

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【右頁上段】 大 監物(けんもつ)光行(みつゆき)は清和(せいわ)源氏豊前(ぶぜんの) 守(かみ)光季(みつすへ)の子也 父(ちゝ)は清盛に仕(つか)へければ 平家 滅亡(めつぼう)の後(のち)鎌倉(かまくら)どのこれを誅(ちう) せんと宣(のたま)ひしに一子光行は京(けう)の事に馴(なれ) 和歌(わか)をよくするを以(もつ)て頼朝(よりとも)召仕(めしつか)ひ 給ふ去(さる)に依(よつ)て光行 父(ちゝ)が一 命(めい)を乞請(こひうけ) て助(たすけ)たり斯(かく)て其後光行 承久(しやうきやう)に後(ご) 鳥羽院(とばのいん)にめされて関東(くわんとう)の大名へ院(いん) 宣(ぜん)の当名(あてな)又は副書(そへがき)などかきしこと顕(あらは) れ罪科(ざいくわ)のがれがたく鎌倉(かまくら)へ召下(めしくだ)され 清久(きよくの)五郎 家盛(いへもり)に預(あつけ)らるゝ光行が 嫡子(ちやくし)式部丞(しきぶのぜう)親行(ちかゆき)は鎌倉(かまくら)に仕(つか) へて父(ちゝ)が罪(つみ)をかなしみ慰(なぐさ)めて  〽きてとふもけふばかりなる旅ごろも   あすは都(みやこ)にたちかへりなん 光行かへし  〽たび衣(ごろも)なれきてをしきなごりには   かへらぬ袖(そで)もうらみをぞする 此 歌(うた)にも後悔(こうくわい)の色(いろ)見へてあはれふかし 【右頁下段】  源(みなもとの)光行(みつゆき) 武隈(たけくま)の  松(まつ)の  緑(みどり)も うづ   もれて  雪(ゆき)をみきと      や  人に   かたらん 【左頁上段】 式部丞(しきぶのぜう)親行(ちかゆき)は父が科(とが)いかゞなりゆく事 と案(あん)じ居(ゐ)たりしが北条(ほうでう)義時(よしとき)殊(こと)の外(ほか) 怒(いか)りつよく光行(みつゆき)は故右大将家(こうだいせうけ)の高恩(かうおん) を蒙(かうふ)りながら此 度(たび)の乱行(らんぎやう)に与(くみ)せし を頗(すこぶる)曲者(くせもの)なればはやく首を刎(はね)らる べしと下知(げち)ありければ既(すで)にその儀(ぎ)に決(けつ) す然(しか)るに親行(ちかゆき)北条の館(やかた)に参(まゐ)りて 某(それがし)多年(たねん)奉公の労(ろう)に宥(ゆん)ぜられ父が 死罪(しざい)を恩免(おんめん)下さるべくもし御 聞済(きゝすみ)な きに於(おい)ては某(それかし)が一命を先(さき)へ召(めさ)るべき旨(むね) 愁訴(しうそ)に及(およ)び其座(そのざ)たちさらず北条 父子 彼(かれ)が孝心(かうしん)を感(かん)じ許容(きよよう)したまひ 刑戮(けいりく)をとゞめ赦免状(しやめんでう)を給はる是を 聞くもの持(もつ)べきものは子なるぞと誉(ほめ) ざるものはなかりけり光行 父(ちゝ)光季(みつすへ)の 命を助る孝(かう)の徳(とく)是にてしるべし親 行 哥道(かだう)に名ありのち鎌倉(かまくら)営中(えいちう) にて源氏(げんじ)物語(ものがたり)を講(こう)ず 【左頁下段】  源(みなもとの)親行(ちかゆき) いたづら    に  行(ゆき)ては かへる  年月(としつき)   の  つもる   うき身(み)に  ものぞかなしき