東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 15

ページ: 15

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【右ページ上段】 北條(ほうでう)相模守(さがみのかみ)貞時(さだとき)は道閑(どうかん)入道 時(とき) 宗(むね)の息男(そくなん)にて十四 歳(さひ)より家督(かとく)を つぎ文永(ぶんえい)十年 政事(せいじ)の加判(かはん)となり国々(くに〴〵) へ忍(しの)びて使(つか)ひを遣(つか)はし守護(しゆご)地頭(ぢとう)の善(ぜん) 悪(あく)を聞(きゝ)悉(こと〴〵く)民間(みんかん)の愁苦(しうく)を問(と)ふ夫(それ)より 年々(とし〳〵)百 余(よ)人の忍(しの)びを遣(つか)はすところ その使行先(つかひゆくさき)にて悪事(あくじ)ありしを貞時(さだとき) しらざりしが羽黒(はぐろ)の山伏来りて直訴(ぢきそ)せ しより使(つかゐ)の悪事を糺明(きうめい)して罪(つみ)に 行(おこな)はるゝゆゑ世の中 治(をさま)りて善政(ぜんせい)を賞(しやう) す又 筑紫(つくし)長門(ながと)等(とう)に探題(たんだい)を置(おき)西(さい) 国(こく)中国のことをつかさどりかつ又 異賊(いぞく) のおさへとす摂州兵庫(せつしうひやうご)の寺(てら)に平(へい) 相国(しやうこく)清盛(きよもり)の石塔(せきたう)は高大(かうたい)にして十 三 重(ぢう)なり銘(めい)に弘安(こうあん)九年二月とあ り彼塔(かのたう)は此貞時の建(たつ)る所にして 清盛(きよもり)薨去(ごうきょ)の際(きは)にたてしにあらず 貞時は執権職(しつけんしよく)を廿八年つとめ て応長(おうてう)元年四十一にて卒(そつ)す 【右ページ下段】  北条(ほうでう)貞時(さだとき) 吹払(ふきはら)ふ 嵐(あらし) に す  みて 山の端(は)の  松(まつ)より高(たか)く いづる月(つき)かげ 【左ページ上段】 千葉(ちばの)新介氏胤は千葉介(ちばのすけ)常胤(つねたね)より 九代の孫(そん)にて代々(よゝ)下総の国を領(れう)し 武勇(ぶゆう)ある謀将(ぼうしやう)なり延元(えんげん)元年 足(あし) 利(かゞ)尊氏(たかうぢ)同 直義(たゞよし)大 軍(ぐん)を以(もつ)て上洛(ぜうらく) す新田(につた)義貞(よしさだ)同 義助(よしすけ)楠(くすのき)正成(まさしげ) 名和(なわ)長年(ながとし)等 拒(こば)み戦(たゝか)ふといへども 大 敵(てき)に敗軍(はいぐん)して都(みやこ)も内裏(だいり)も 炎上(えんしやう)に及(およ)ぶぜひなく御醍醐(ごだいご)天皇 叡山(えいざん)に臨幸(りんこう)あり千葉新介 供(ぐ) 奉(ぶ)となりて登上(とうじやう)す尊氏(たかうぢ)細川 定(でう) 禅を三井寺に遣(つかは)し叡山を責(せめ) んとす官軍(くわんぐん)新田(につた)北畠(きたはたけ)宇都宮(うつのみや) 等 律師(りつし)定禅(でうせん)を討(うた)んと三井寺へ押(おし) 寄(よす)る千葉新介は千 余騎(よき)にて正月 十六日 宵(よい)より志賀(しが)の里に陣(ぢん)どり翌(よく) 朝(てう)諸軍(しよぐん)に先立(さきたち)一二の木戸を攻破(せめやふ) り多勢(たせい)の中へ切て入り兜首(かぶとくび)二ッ打(うち) 取(と)り半時ばかり戦(たゝか)ひて一と足(あし)も引ず 討死(うちしに)して世に勇名(ゆうめい)をあらはしぬ 【左ページ下段】  千葉(ちばの)新介(しんすけ)氏胤(うぢたね) 人しれ   ず  いつ   しか  おつる    涙川(なみだがは)  あふせに     かへて   名(な)をながすとも