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【右ページ上段】
北條(ほうでう)相模守(さがみのかみ)貞時(さだとき)は道閑(どうかん)入道 時(とき)
宗(むね)の息男(そくなん)にて十四 歳(さひ)より家督(かとく)を
つぎ文永(ぶんえい)十年 政事(せいじ)の加判(かはん)となり国々(くに〴〵)
へ忍(しの)びて使(つか)ひを遣(つか)はし守護(しゆご)地頭(ぢとう)の善(ぜん)
悪(あく)を聞(きゝ)悉(こと〴〵く)民間(みんかん)の愁苦(しうく)を問(と)ふ夫(それ)より
年々(とし〳〵)百 余(よ)人の忍(しの)びを遣(つか)はすところ
その使行先(つかひゆくさき)にて悪事(あくじ)ありしを貞時(さだとき)
しらざりしが羽黒(はぐろ)の山伏来りて直訴(ぢきそ)せ
しより使(つかゐ)の悪事を糺明(きうめい)して罪(つみ)に
行(おこな)はるゝゆゑ世の中 治(をさま)りて善政(ぜんせい)を賞(しやう)
す又 筑紫(つくし)長門(ながと)等(とう)に探題(たんだい)を置(おき)西(さい)
国(こく)中国のことをつかさどりかつ又 異賊(いぞく)
のおさへとす摂州兵庫(せつしうひやうご)の寺(てら)に平(へい)
相国(しやうこく)清盛(きよもり)の石塔(せきたう)は高大(かうたい)にして十
三 重(ぢう)なり銘(めい)に弘安(こうあん)九年二月とあ
り彼塔(かのたう)は此貞時の建(たつ)る所にして
清盛(きよもり)薨去(ごうきょ)の際(きは)にたてしにあらず
貞時は執権職(しつけんしよく)を廿八年つとめ
て応長(おうてう)元年四十一にて卒(そつ)す
【右ページ下段】
北条(ほうでう)貞時(さだとき)
吹払(ふきはら)ふ
嵐(あらし)
に
す
みて
山の端(は)の
松(まつ)より高(たか)く
いづる月(つき)かげ
【左ページ上段】
千葉(ちばの)新介氏胤は千葉介(ちばのすけ)常胤(つねたね)より
九代の孫(そん)にて代々(よゝ)下総の国を領(れう)し
武勇(ぶゆう)ある謀将(ぼうしやう)なり延元(えんげん)元年 足(あし)
利(かゞ)尊氏(たかうぢ)同 直義(たゞよし)大 軍(ぐん)を以(もつ)て上洛(ぜうらく)
す新田(につた)義貞(よしさだ)同 義助(よしすけ)楠(くすのき)正成(まさしげ)
名和(なわ)長年(ながとし)等 拒(こば)み戦(たゝか)ふといへども
大 敵(てき)に敗軍(はいぐん)して都(みやこ)も内裏(だいり)も
炎上(えんしやう)に及(およ)ぶぜひなく御醍醐(ごだいご)天皇
叡山(えいざん)に臨幸(りんこう)あり千葉新介 供(ぐ)
奉(ぶ)となりて登上(とうじやう)す尊氏(たかうぢ)細川 定(でう)
禅を三井寺に遣(つかは)し叡山を責(せめ)
んとす官軍(くわんぐん)新田(につた)北畠(きたはたけ)宇都宮(うつのみや)
等 律師(りつし)定禅(でうせん)を討(うた)んと三井寺へ押(おし)
寄(よす)る千葉新介は千 余騎(よき)にて正月
十六日 宵(よい)より志賀(しが)の里に陣(ぢん)どり翌(よく)
朝(てう)諸軍(しよぐん)に先立(さきたち)一二の木戸を攻破(せめやふ)
り多勢(たせい)の中へ切て入り兜首(かぶとくび)二ッ打(うち)
取(と)り半時ばかり戦(たゝか)ひて一と足(あし)も引ず
討死(うちしに)して世に勇名(ゆうめい)をあらはしぬ
【左ページ下段】
千葉(ちばの)新介(しんすけ)氏胤(うぢたね)
人しれ
ず
いつ
しか
おつる
涙川(なみだがは)
あふせに
かへて
名(な)をながすとも