翻刻
【右ページ・上段】
足利義詮(あしかゞよしのり)公は尊氏(たかうぢ)の嫡男(ちやくなん)にて二代
将軍(せうぐん)也/武威(ぶゐ)を四海(しかい)にしめし給ひまた
和歌に名高く貞治(ていぢ)三年卯月
住吉(すみよし)に参詣(さんけい)あり道(みち)すがら江口の里(さと)
に舟(ふね)をとゞめ西行(さいげう)のふることを思ひ出て
〽をしみしもをしまぬ人もとゞまらぬ
かりのやどりにひとよねましを
長柄(ながら)にいたり古(ふる)き橋(はし)の跡杭(あとくい)など見て
〽くちはてしながらの橋(はし)のながらへて
けふにあひぬる身ぞふりにける
天王寺(てんわうじ)に詣(まうで)て亀井(かめゐ)の水をながめて
〽よろづ代をかめ井の水に結(むす)びおきて
ゆくすゑながくわれもたのまむ
住吉(すみよし)にいたり四/社(しや)の神殿(しんでん)を拝(はい)して
〽よもの海(うみ)ふかきちかひやひのもとの
民(たみ)もゆたかに住よしのかみ
和哥(わか)の道(みち)を守(まも)り給ふ神徳(しんとく)を感(かん)じて
〽神代より伝へつたふる敷嶋(しきしま)の
みちに心もうとくもあるかな
【右ページ・下段】
足利義詮公(あしかがよしのりこう)
いはし水
た
え
ぬ
流(なが)れを
くみてしる
ふかき恵(めぐみ)ぞ
代々(よよ)にかはらぬ
【左ページ・上段】
細川和氏(ほそかはかずうぢ)は細川八郎太郎 公頼(きんより)の
子也 延元(えんげん)元年三井寺 合戦(かつせん)の後 尊氏(たかうぢ)
毎度(まいど)戦ふごとに利(り)を失(うしな)ひ都(みやこ)にも足(あし)
をとゞめがたく播磨路(はりまぢ)に落(おち)けるを正成(まさじげ)
義貞(よしさだ)追討(おひうち)にしければ尊氏 直義(たゞよし)兄(けう)
弟(だい)兵庫(ひやうご)へ退(しりぞ)き防(ふせ)ぎけるに九州勢足
利へ加勢(かせい)するといへども悉(こと〴〵)く敗軍(はいぐん)して
今は詮方(せんかた)なく足利(あしかゞ)兄弟兵庫の魚(うを)
御堂(みどう)におゐて自害(じかい)せん覚悟(かくご)なりしを
細川和氏しきりに是(これ)を諫(いさ)めて辛(から)う
じて舟(ふね)に取乗(とりの)り筑紫(つくし)のかたに赴(おもむ)く
尊氏(たかうぢ)播磨潟(はりまがた)を見て
〽いまむかふかたは明石(あかし)の浦(うら)ながら
まだはれやらぬわがおもひかな
是を聞(きい)て和氏(かずうぢ)此哥を詠(えい)じて心を
なぐさめ九州に落(おち)延(の)び再(ふたゝ)び大軍に
て上(のぼ)り先敗(せんはい)の恥辱(ちゞよく)をすゝぎ足利の
代(よ)となせしは此和氏が功(こう)なりけり
【左ページ・下段】
阿波将監和氏(あはのしやうげんかずうぢ)
武士(ものゝふ)の
これや
限(かぎ)り
の
をり〳〵
も
忘(わす)れざりにし
敷嶋(しきしま)のみち