東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 17

ページ: 17

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【右頁上段】 左馬頭基氏(さまのかみもとうぢ)は尊氏 将軍(せうぐん)の三男に して貞和(ていわ)五年十月 兄(あに)義詮(よしのり)公は京都(けうと) の政事(せいじ)を執行(とりをこな)ひ弟(おとゝ)基氏は鎌倉(かまくら)に下(くだ) りて関東(くわんとう)のまつりごとをつかさどる畠山(はたけやま)入 道 道誓(どうせい)と謀(はかり)て新田(につた)の一 族(ぞく)を探求(さぐりもとめ) 義興(よしおき)を武州にて討(うち)鎌倉(かまくら)を治(をさ)む尊 氏 直義(たゞよし)睦(むつみ)かりしころ関(くわん)八州を直義に与(あた) へ基氏を猶子(ゆうし)として鎌倉(かまくら)におき京都 静(しづか)ならざる時は関東(くわんとう)より兵(つはもの)をのぼせ天 下をしづむべきことに定(さだ)め置(おき)し也其後 尊氏直義 逝去(せいきよ)してより義詮(よしのり)基氏 の心をうたがひ打とけず基氏(もとうぢ)此ことを愁(うれ) ひ病(やま)ひに臥(ふし)ても医薬(いやく)を用(もち)ひずはやく 死(し)して兄(あに)の心を安(やす)からしめんと死(し)すこと を願(ねが)へり貞治(ていぢ)六年関東の宮方(みやがた)起(おこ) る故(ゆゑ)基氏 川越(かはこへ)を攻(せめ)んと欲(ほつ)すれども 病(やまひ)あるゆゑ一子 金王丸(きんわうまる)を名代(めうだい)として 発向(はつかふ)せしめその跡(あと)にて卒去(そつきよ)す歳(とし) 二十八 瑞泉寺殿(ずいせんじどの)と号(がう)す 【右頁下段】  左馬頭基氏(さまのかみもとうぢ) 靏(つる)が岡(おか)  木(こ)  高(たか)  き 松を  吹風(ふくかぜ)の 雲井(くもゐ)にひゞく  万代(よろづよ)の声(こゑ) 【左頁上段】 佐々木(さゝき)道誉(どうよ)義詮(よしのり)将軍を守護(しゆご)して 都(みやこ)にありけるに南方(なんはう)より楠正儀(くすのきまさのり)不意(ふい)に 京(けう)に攻上(せめのぼ)り御所(ごしよ)を取囲(とりかこみ)ければ義詮公 没落(ぼつらく)し給ふ此時 道誉(どうよ)も都を落(おち)けるが 我(わが)宿所(しゆくしよ)にさだめて敵(てき)の大将入 移(うつら)んと大(だい) 紋(もん)の幕(まく)を張(は)り畳(たゝみ)を新(あたら)しく敷(しき)かへ床(とこ)に王(わう) 義之(ぎし)の軸物(ぢくもの)を掛(かけ)一ㇳ間(ま)には沈(ぢん)の枕(まくら)に純子(どんす)【「鈍」の誤記】 の宿直(とのゐ)ものを取副(とりそへ)ておき十二 間(けん)の遠侍(とほさむらひ)には 魚鳥(ぎよてう)を取(とり)ならべ三 石入(ごくいり)の大 瓶(がめ)に酒(さけ)を湛(たゝ)へ 斯(かく)とりそろへ遁世者(とんせいじや)二人 留(とゞめ)おきて誰(たれ)にて も此 宿所(しゆくしよ)に入来らんものに一 献(こん)進(すゝ)めよと 巨細(こさい)に申おきけり程(ほど)なく楠正儀入来 りしに遁世者(とんせいじや)右のわけを申 迎(むかひ)入ければ 正儀(まさのり)是をきゝ恨(うらみ)ある当敵(たうてき)なれば火(ひ)を かけ焼(やき)すてべきなれど此 式(しき)を感(かん)じ庭(には)の 木一本も損(そん)ぜず畳(たゝみ)をも汚(よご)さず還(かへり)て居間(ゐま) に秘蔵(ひそう)の鎧(よろひ)と太刀一 振(ふり)をおき良等(らうどう)一人 止(とゞ) め礼を厚(あつ)くして道誉(どうよ)に返(かへ)しけり戦国(せんごく)に も両将(りやうせう)の礼を崩(くづ)さぬを皆(みな)感(かん)じけるとなん 【左頁下段】  佐渡判官道誉(さどのはんぐわんどうよ) さだめなき  世(よ)を  うき 鳥(とり)の  みがく   れて 下やす  からぬ 思(おも)ひ   なりけり