翻刻
【右頁上段】
北畠 源大納言親房(げんだいなごんちかふさ)卿ははじめ伊勢(いせ)
にありて南朝(なんてう)無二(むに)の御 味方(みかた)なり文武
とも衆(しゆう)に越(こへ)数度(すど)の戦場(せんじやう)に勝利(せうり)を
得(え)ぬことなし南帝(なんてい)の皇子(わうじ)宗良親(むねよししん)
王(わう)遠州(ゑんしう)より吉野(よしの)に入給ふを親房
より訪(と)ひ奉り菖蒲(あやめ)に添(そへ)て此
歌を奉りければ宗良(むねよし)親王 返哥(へんか)に
〽ふかき江もけふぞかひあるあやめ草(ぐさ)
きみが心にひくとおもへば
親房卿 常陸(ひたち)にありて軍務(ぐんむ)に隙(いとま)な
き折(をり)からなれど神皇正統記(しんわうせうとうき)五巻を
作(つく)り吉野へ献(けん)ず吉野御所に行宮(ぎやうくう)
殿閣(でんかく)なく月卿雲客(げつけいうんかく)昇進(しやうしん)除目(ぢもく)の式目(しきもく)
殆絶(ほとんどたえ)んとす親房卿 常陸国(ひたちのくに)小田の
城(しろ)に居(きよ)して職原抄(しよくげんしやう)二巻を書(かき)又吉
野へ献(けん)ずこれにて百 官(くわん)位職(ゐしよく)皆(みな)掌(たなごゝろ)
を指(さす)がごとし末代(まつだい)に至(いた)りて帝都(ていと)の亀鑑(きがん)
とす両書(りやうしよ)とも文書(ぶんしよ)一巻 引(ひく)ものなく
して著(あらは)すその博学(はくがく)これにてしるべし
【右頁下段】
北畠(きたはたけ)准后(じゆごう)親房(ちかふさ)
わきて
たが
頼(たのむ)
心の
深(ふか)き江に
ひける菖蒲(あやめ)ぞ
根(ね)とはしらなん
【左頁上段】
高播磨守(かうのはりまのかみ)師冬は鎌倉(かまくら)基氏の
執権(しつけん)となり貞和(ていわ)五年五月 軍(ぐん)
兵(べう)を催(もよほ)し常陸(ひたち)小田の城(しろ)を攻(せむ)る
南朝方(なんてうがた)いきほひ強(つよ)しといへども師冬
方へかへり忠(ちう)のものありて開城(かいじやう)に及(およ)び
ければかの国を切(きり)なびけ師冬 上杉(うへすぎ)
憲顕(のりあき)と共(とも)に基氏(もとうぢ)を補佐(ほさ)して
かまくらの執権(しつけん)たり観応(くわんおう)元年
基氏(もとうじ)と不和(ふわ)になり甲州(かうしう)に立(たち)さる
管領(くわんれい)は憲顕(のりあき)一人となり師冬は
甲州 伴野村(ばんのむら)栖渓(すさは)の城(しろ)において
上杉能憲(うへすぎよしのり)と戦(たゝか)ふ信州 諏訪(すは)の
祝部(はふり)寄手(よせて)に加(くはゝ)り六千 余騎(よき)三
日三夜 息(いき)をもつかせず攻(せめ)ければ
城中(ぜうちう)労(つか)れ後詰(ごづめ)のたよりもなく
師冬 術計(じゆつけい)つき果(はて)て最期(さいご)の
一 戦(せん)はな〴〵しく敵(てき)を悩(なや)まし
腹(はら)一 文字(もんじ)にかき切(き)りて勇名(ゆうめい)
を世にのこしける
【左頁下段】
初秋(はつあき)は
まだ
長(なが)
からぬ
夜半(よは)なれば
明(あく)るやをしき
星合(ほしあひ)のそら
高階師冬(たかしなもろふゆ)