東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 19

ページ: 19

翻刻

【右頁上段】 武田伊豆守(たけたいづのかみ)信武は新羅(しんら)三郎 の末(すゑ)武田の正統(せうとう)にて初(はじめ)信氏(のぶうぢ)と言 尊氏(たかうぢ)将軍(せうぐん)へ忠勤(ちうきん)の武士(ものゝふ)なり 延文(えんぶん)三年四月廿九日 尊氏(たかうぢ)薨(こう)じ 給ふ御子 義詮(よしのり)南方(なんほう)の敵(てき)と戦(たゝか)ひ 凱陣(かいぢん)して間(ま)もなきことゆゑ不幸(ふこう)を なげき愁(うれ)ひにしづみたる折(をり)から信 武 剃髪(ていはつ)して〽梓弓の哥を詠(えい) じければ義詮(よしのり)涙(なみた)にむせび  〽袖(そで)の色(いろ)かはるときけば旅衣(たびころも)    たちかへりてもなほぞつやけき かく詠(えい)じ歎(なげ)きの中へ勅使(ちよくし)下りて尊 氏へ贈(ぞう)左大臣 従(じゆ)一位の號(おくりな)を賜(たまは)り ければ義詮 則(すなはち)和歌にて勅答(ちよくたふ)す  〽かへるべき道(みち)しなければ位(くらゐ)山    のぼるにつけてぬるゝそでかな 始終(しじう)勅使(ちよくし)も聞召(きこしめし)て哀(あはれ)をもよ ほし此よし奏聞(そうもん)ありければかぎり なく叡感(えいかん)あられしといふ 【右頁下段】 梓弓(あづさゆみ)  もとの すがたは 引(ひき) かへ   ぬ 入(いる)べき  山の   かくれ家(が)もなし   武田信武(たけだのぶたけ) 【左頁上段】 氏清(うぢきよ)は山名 時氏(ときうぢ)の子にて武勇(ぶゆう)の人也 南朝(なんてう)の討手(うつて)に命(めい)ぜられ応安(おうあん)元年(ぐわんねん) より十二年 河内(かはち)紀伊(きい)に向(むかつ)て戦労(せんらう)を つくしければ八 幡(まん)どのゝ例(れい)に比(ひ)すとて陸奥(むつの) 守(かみ)に任(にん)ぜらる明徳(めいとく)元年十月氏清 宇治(うぢ)の別荘(べつさう)紅葉(もみぢ)盛(さか)りなれば将軍(せうぐん) を招請(てうしやう)す日 限(げん)を定(さだ)め御 成(なり)の催(もよほ)し ありけるに氏清の一 族(ぞく)満幸(みつゆき)偽(いつはり)て謀(む) 反(ほん)をすゝめける故 約(やく)を違(たが)へて病気(びやうき)と号(がう) し参(まい)らず将軍(せうぐん)宇治より空(むなし)く還御(くわんぎよ) ありて立腹(りつふく)なのめならず氏清是より 反(そむき)て旗(はた)を上(あげ)八幡山に陣取(ぢんとり)消息(せうそこ)の 序(ついで)に妻(つま)のかたへ此哥を送(おく)りけるに其返(そのかへし)に 〽よしさらば死出(しで)の中道(なかみち)へだつとも   むつのちまたによりもあはなん 氏清 強勇(がうゆう)なりといへども諸所(しよ〳〵)の戦(たゝかひ)に味(み) 方(かた)敗軍(はいぐん)し其身(そのみ)も一色(いつしき)が為に討死(うちしに)す辞世(じせい) 〽とり得ずはきえぬと思へあずさ弓(ゆみ)   引てかへらぬみちしばのつゆ 【左頁下段】  山名氏清(やまなうぢきよ) さてもその  ありしばかりを 限(かぎ)り と も しらで別(わか)るゝ  我(われ)ぞはかなき