東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 20

ページ: 20

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【右頁上段】 斯波(しば)治部大輔(ぢぶのたいふ)義将(よしまさ)は尾張守(をはりのかみ)入 道 道朝(どうてう)の男也二 条(でう)勘(か)ケ(て)由小路(のこうぢ)武衞(ぶゑい) の陣(ぢん)に居(きよ)す仍(よつ)て武衞家(ぶゑいけ)と号(ごう)す天下 三 職(しよく)の一人也 永徳(えいとく)二年 従(じゆ)四位下左兵 衛 督(かみ)に任(にん)ず文和(ぶんわ)二年七月 越中(ゑつちう)に 桃井(もゝのゐ)直和(なほかず)将軍の命(めい)に随(したが)はざれば 義将(よしまさ)彼國(かのくに)に走(はせ)向(むか)ッて数度(すど) 戦(たゝか)ひて これを誅戮(ちうりく)し是(これ)より越中に陣(ぢん)を 張(は)ること九ヶ年 應永(おうえい)六年大内 義弘(よしひろ)野心(やしん)につけ氏清の二男 満(みつ) 氏(うぢ)等 蜂起(ほうき)して乱(らん)に及(およ)ぶ此とき義将 即日(そくじつ)走(はせ)向(むか)ッて堺(さかひ)をしづめて軍(いくさ)を をさむ三代 義満(よしみつ)公の治世(ちせい)永和(えいわ)に 菊地(きくち)を攻(せめ)又は鎌倉(かまくら)の満氏 叛(そむ)き 明徳(めいとく)に山名一 類(るい)應永(おうえい)二年 小(せう) 貮(に)大友 千葉(ちば)謀反(むほん)同六年には 堺(さかひ)乱(らん)その後(ご)飛騨(ひだ)の国に藤尹(とうのたゞ) 䌫(とも)に至(いた)るまで義将 執事(しつじ)とな りて軍馬(ぐんば)の労(ろう)多(おほ)し 【右頁下段】 斯(し)波(ば)義(よし)将(まさ)【注】 春(はる)はなを  咲(さき)ちる 花(はな)の 中に  落(おつ)る 吉野(よしの)の    瀧(たき)も  波(なみ)や    そふらん 【左頁上段】 相模守(さがみのかみ)清氏(きようぢ)は和氏(かずうぢ)の長子(てうし)なり 文和(ぶんわ)二年 山名(やまな)時氏 其子(そのこ)師氏(もろうぢ)と 謀反(むほん)して南朝(なんてう)方(がた)となり伯耆國(はうきのくに) を打立(うちたち)南方(なんばう)と諜(てう)じ合(あは)せ京都(きやうと)へ 攻(せめ)上(のぼ)りければ防(ふせ)ぐ事あたはず北帝(ほくてい) を伴(ともな)ひ奉り義詮(よしのり)東国へ落(おち)ける に敵(てき)追(お)ひ来(きた)ること烈(はげ)しく防(ふせぎ)かねける を清氏 力(ちから)を添(そ)へ北帝(ほくてい)を背(せ)に負(お) ひ奉りて美濃国(みのゝくに)垂井(たるゐ)に遁(のが)れて 皇居(くわうきよ)を造(つく)る延文(ゑんぶん)四年十月 仁(につ) 木頼章(きよりあきら)卒(そつ)して細川(ほそかは)清氏 武(ぶ) 家(け)執権(しつけん)となる南方 龍泉寺(りうせんじ)の 城(しろ)を攻落(せめおと)し後(のち)畠(はたけ)山 道誓(どうせい)と中 よからず都(みやこ)を退(しりぞ)き一たび阿波国(あはのくに)に 赴(おもむ)き四国を治(をさ)む佐々木 道誉(どうよ)とも 不和(ふわ)になり讒臣(ざんしん)の為 義詮(よしのり)公に 不興(ふけう)をうけ一たび南朝(なんてう)方(がた)となり 後(のち)同姓(どうせい)右馬頭(うまのかみ)頼之(よりゆき)が為に討(うち)死(しに) して果(はて)ぬ 【左頁下段】 源(みなもとの)清(きよ)氏(うぢ) 音(おと)だにも  秋(あき)には かは  る 時雨(しぐれ)  かな 木(こ)の葉(は)    ふりそふ  冬(ふゆ)や    きぬらん 【注 「義将」の読みは「よしゆき」が正】