東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

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續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 22

ページ: 22

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【右頁上段】 義勝(よしかつ)公は義教(よしのり)公の長子(てうし)にて母は 裏松(うらまつ)左府(さふ)重光(しげみつ)公の女なり義教公 赤松(あかまつ)満祐(まんゆう)が為に御 他界(たかい)ありければ 八 歳(さい)にて将軍 宣下(せんげ)ありてより山 名細川 守護(しゆご)となりて播州(ばんしう)白旗(しらはた)の 城に押(おし)よせ逆敵(ぎやくてき)赤松を滅(ほろぼ)し六条(でう) 河原(かはら)に掛(かけ)させられ御 幼年(ようねん)なれど武(ぶ) 術(じゆつ)稽古(けいこ)怠(おこた)りなく太刀打(たちうち)兵法(へいほう)馬術(ばじゆつ) 等(とう)日 毎(ごと)に行(おこな)はせ給ふ其ころ出雲(いづも)より 名馬(めいば)を献(けん)じければ是に召(めし)給ふに一 乗(でう)兼(かね) 良(よし)公 諫(いさめ)を入れて名馬(めいば)彼国(かのくに)より出ること 先例(せんれい)よろしからずと申し御 馬術(ばじゆつ)を止(とゞ)め申せど も御 聞入(きゝいれ)なく嘉吉(かきつ)三年七月廿一日 馬場(ばば) に責馬(せきば)二三 返(べん)のらせられける所此馬 俄(には)に 躍(をどり)て駈(かけ)出しければ御 落馬(らくば)ありて急(きう) 所(しよ)を打給ひけるにや御ん悩(なやみ)はなはだし く此哥を辞 世(せい)としてのこし給ひぬ 御とし十 歳(さい)にて薨(こう)じ給ひぬ天下の 人をしまぬはなかりしといふ 【右頁下段】  足利(あしかゞ)義勝(よしかつ)公 咲(さき)きてこそ  人も盛(さか)り     は 見(み)る べき  に あなうら   やまし  朝貌(あさがほ)の     はな 【左頁上段】 伊達(だて)光録(くわうろく)卿(けい)政宗は山陰(やまかげ)中納言(ちうなごん) 九代の孫 弾正(だんぜうの)少弼(せうひつ)宗遠(むねとほ)の嫡男(ちやくなん)に て文武に秀(ひいで)給ふ将なり南朝(なんてう)紀伝(きでん) に鎌倉(かまくら)満兼(みつかね)の舎弟(しやてい)を陸奥(みちのく)の 管領(くわんれい)として篠(しの)川の城(しろ)に下向(げかう)ありて 篠(しの)川の御所(ごしよ)と称(しやう)す然(しか)るに伊達(だて) の入道を軽(かろ)しめたるよしにて礼式(れいしき)の 薄(うす)きを心よからず思ひ下知(げち)に応(おう) ぜず是によつて鎌倉(かまくら)より右衛門佐(ゑもんのすけ)氏(うぢ) 憲(のり)大軍(たいぐん)を引率(いんそつ)して陸奥(みちのく)赤館(あかだて)に おいて合戦(かつせん)に及ぶ伊達(だて)勢(せい)強(つよ)して上 杉勢 敗軍(はいぐん)して引退(ひきしりそ)くかさねて鎌倉(かまくら) より大軍 加(くわゝ)り戦ひに及(およ)ぶといへども 九月五日 和睦(わぼく)となる此時政宗 山家(さんかの) 雪(ゆき)の題(だい)にて此歌を詠(えい)じ敵陣(てきぢん)に 送(おく)りしといふまた山家の霧(きり)の題(だい) にも哥あり 〽やまあひのきりはさながら海(うみ)に似(に)て  なみかときけば松風のおと 【左頁下段】  伊達(だて)大膳太夫(だいぜんのだいぶ) なか〳〵に  九十(つゞら)折(をり) なる 道(みち) た えて 雪(ゆき)に隣(となり)の  近(ちか)き山里(やまざと)