東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 23

ページ: 23

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【右頁上段】 春王(しゆんわう)丸 安王(あんわう)丸は鎌倉(かまくら)の公方 持氏(もちうぢ)の 二 男(なん)三男なり永享(えいきやう)十一年御 父(ちゝ)持氏 亡(ほろ) び給ひし後(のち)良等(らうどう)ども落(おと)しまゐらせ日 光(くわう)山の奥(おく)に忍(しの)ばせ置(おき)しに結城(ゆうき)七郎 氏(うじ) 朝(とも)迎(むか)ひ取(とつ)て結城(ゆうき)の城(しろ)にいれまゐらせければ此 よし京都へ聞(きこ)へて大軍を発(はつ)し攻(せむ)るといへ ども城(しろ)の要害(ようがい)はよし氏朝 父子(ふし)勇(ゆう)を震(ふるつ) て防戦(ぼうせん)しければ寄手(よせて)攻落(せめおと)すことを得ず 三年までは籠城(ろうぜう)に及(および)けれどもあら手 を入かへ〳〵責(せめ)めければ終(つひ)に嘉吉(かきつ)元年四月 十二日 落城(らくじやう)に及び春王安王をも奥州(おうしう) まで落(おと)さんと計(はかり)けれども運拙(うんつたな)く生捕(いけとら)れ 道中(どうちう)警固(けいご)きびしく古郷(ふるさと)かまくらを通(とほ)りし 時御父持氏公 自害(じがい)し給ひし永安寺(えいあんじ)を 御 輿(こし)の内より手を合(あは)せ拝(おがみ)給ひしを見て かまくら中のもの泣(なか)ぬ者(もの)はなかりしとかや それより日を経(へ)て遠州(ゑんしう)菊(きく)川の宿(しゆく) につきけるに此所は元弘(げんこう)年中 俊基(としもと)卿 囚(とらは)れ給ふとき一首の歌(うた)を宿(やど)のはし 【左頁上段】 らにかきおかれける 〽 いにしへもかゝるためしをきく川の   おなじ流(なが)れに身をやしづめん これを見て承久(しやうきう)といひ元弘(げんこう)といひ あはれをかさねし所(ところ)なり今は我身(わがみ)の うへとなりしと春王丸 筆(ふで)を染(そめ)て 〽 いまも又なほうきことをきく川の   瀬々(せゞ)のおもひに沈(しづ)むはかなさ 夫(それ)よりも日数(ひかず)つもりて美濃国(みのゝくに)青野(あをの)が 原(はら)に着(つき)し時京都将軍の命(めい)にて誅(ちう) すべき由(よし)にて検使(けんし)荻野(おぎの)三河入道下り ければ今は詮方(せんかた)なく垂井(たるゐ)の金蓮寺(こんれんじ)へ入れ 奉り御 生害(せうがい)をすゝめ申せば二人ともわるびれ もせず父の最期(さいご)の御 供(とも)におくおくれ爰(こゝ)にて 果(はて)るも因果(いんぐわ)不昧(ふまい)の理(ことわり)にて歎(なげく)べきにあ らずと心しづかに念仏(ねんぶつ)して兄弟(けうだい)とも此歌 を辞世(じせい)にのこし自害(じがい)して果(はて)給ふは哀(あは)れはか なきことども也 春(しゆん)王丸十三才 安(あん)王丸十一 才 嘉吉(かきつ)元年四月廿六日のことなりけり 【右頁下段】  春王丸(しゆんわうまろ) よろこびの  世(よ)に あふ  み とは  なりも    せで  青野(あほの)がはらの   露(つゆ)ときえまし 【左頁下段】  安王丸(あんわうまろ) あひ川や  袖(そで)を ひた して 行(ゆく)  さきも   たる井の 露(つゆ)と消(きえ)や   はてなん