翻刻
【右頁上段】
春王(しゆんわう)丸 安王(あんわう)丸は鎌倉(かまくら)の公方 持氏(もちうぢ)の
二 男(なん)三男なり永享(えいきやう)十一年御 父(ちゝ)持氏 亡(ほろ)
び給ひし後(のち)良等(らうどう)ども落(おと)しまゐらせ日
光(くわう)山の奥(おく)に忍(しの)ばせ置(おき)しに結城(ゆうき)七郎 氏(うじ)
朝(とも)迎(むか)ひ取(とつ)て結城(ゆうき)の城(しろ)にいれまゐらせければ此
よし京都へ聞(きこ)へて大軍を発(はつ)し攻(せむ)るといへ
ども城(しろ)の要害(ようがい)はよし氏朝 父子(ふし)勇(ゆう)を震(ふるつ)
て防戦(ぼうせん)しければ寄手(よせて)攻落(せめおと)すことを得ず
三年までは籠城(ろうぜう)に及(および)けれどもあら手
を入かへ〳〵責(せめ)めければ終(つひ)に嘉吉(かきつ)元年四月
十二日 落城(らくじやう)に及び春王安王をも奥州(おうしう)
まで落(おと)さんと計(はかり)けれども運拙(うんつたな)く生捕(いけとら)れ
道中(どうちう)警固(けいご)きびしく古郷(ふるさと)かまくらを通(とほ)りし
時御父持氏公 自害(じがい)し給ひし永安寺(えいあんじ)を
御 輿(こし)の内より手を合(あは)せ拝(おがみ)給ひしを見て
かまくら中のもの泣(なか)ぬ者(もの)はなかりしとかや
それより日を経(へ)て遠州(ゑんしう)菊(きく)川の宿(しゆく)
につきけるに此所は元弘(げんこう)年中 俊基(としもと)卿
囚(とらは)れ給ふとき一首の歌(うた)を宿(やど)のはし
【左頁上段】
らにかきおかれける
〽 いにしへもかゝるためしをきく川の
おなじ流(なが)れに身をやしづめん
これを見て承久(しやうきう)といひ元弘(げんこう)といひ
あはれをかさねし所(ところ)なり今は我身(わがみ)の
うへとなりしと春王丸 筆(ふで)を染(そめ)て
〽 いまも又なほうきことをきく川の
瀬々(せゞ)のおもひに沈(しづ)むはかなさ
夫(それ)よりも日数(ひかず)つもりて美濃国(みのゝくに)青野(あをの)が
原(はら)に着(つき)し時京都将軍の命(めい)にて誅(ちう)
すべき由(よし)にて検使(けんし)荻野(おぎの)三河入道下り
ければ今は詮方(せんかた)なく垂井(たるゐ)の金蓮寺(こんれんじ)へ入れ
奉り御 生害(せうがい)をすゝめ申せば二人ともわるびれ
もせず父の最期(さいご)の御 供(とも)におくおくれ爰(こゝ)にて
果(はて)るも因果(いんぐわ)不昧(ふまい)の理(ことわり)にて歎(なげく)べきにあ
らずと心しづかに念仏(ねんぶつ)して兄弟(けうだい)とも此歌
を辞世(じせい)にのこし自害(じがい)して果(はて)給ふは哀(あは)れはか
なきことども也 春(しゆん)王丸十三才 安(あん)王丸十一
才 嘉吉(かきつ)元年四月廿六日のことなりけり
【右頁下段】
春王丸(しゆんわうまろ)
よろこびの
世(よ)に
あふ
み
とは
なりも
せで
青野(あほの)がはらの
露(つゆ)ときえまし
【左頁下段】
安王丸(あんわうまろ)
あひ川や
袖(そで)を
ひた
して
行(ゆく)
さきも
たる井の
露(つゆ)と消(きえ)や
はてなん