東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

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續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 24

ページ: 24

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【右頁上段】 上杉(うえすぎ)憲実(のりざね)はかまくら持氏(もちうぢ)公の執権(しつけん)た りしが持氏公は京都将軍 義量(よしかず)公御 早(さう) 世(せい)の後(のち)御 跡目(あとめ)をも継(つが)せらるべきとの御 沙(さ) 汰(た)もありしがば御心 悦(よろこび)の所 義教(よしのり)公 継(つぎ)た まひければ持氏 本意(ほんい)を失(うしな)ひ面目(めんぼく)なく 思して京都を攻(せめ)んと議(ぎ)せられけるを憲(のり) 実(ざね)是を諫(いさめ)ることしきりなれば持氏 怒(いか)ら せられ憲実(のりざね)を討(うた)んと計(はかり)給ふゆゑぜひなく 伊豆(いづ)の国(くに)へ身を退(しりぞ)く持氏 益(ます〳〵)反逆(ほんぎゃく)あるに 仍(より)て京都ゟ討手(うつて)来って持氏父子とも亡(ほろ)び給ひ 鎌倉四代九十年の繁昌(はんじやう)一 時(じ)に滅却(めつきやく)す 憲実(のりさね)かはりゆく世(よ)を観(くわん)じ出家して長棟(てうとう) 禅門(ぜんもん)と号(がう)し行脚(あんぎや)となりみの垂井(たるゐ)にて 水相観(すいさうくわん)の心にて此歌はよめり又 河内(かはち)の国 金剛山(こんがうせん)の奥(おく)に草庵(さうあん)を結(むす)び戸板(といた)に書(かき)て 〽 かつらきやよそにぞ見てし岑(みね)のくも   たもとにわくる秋(あき)の夕ぐれ 此歌をのこし置(おき)て行方(ゆくへ)しれず足利(あしかゞ)の 学校(がくかう)に書(しよ)を蔵(をさめ)しは此人のなせる所也 【右頁下段】  上杉(うへすき)安房守(あはのかみ)     憲実(のりざね) 昔見(むかしみ)し 垂(たる) 井(ゐ) の 水の  かはら    ぬに 写(うつ)れる    影(かげ)の  などかはるらん 【左頁上段】 大内(おふち)持世は大内介(おふちのすけ)教幸(のりゆき)の子に て防長(はうてう)豊石(ぶせき)四ヶ国(こく)を領(りやう)し武勇(ぶやう)の 人なり正五 位(ゐ)にて年月 久(ひさ)しく過行(すぎゆき) 父祖(ふそ)の叙任(じよにん)四位の階(かい)にのぼらざる ことをなげきかこちて 〽をり〳〵に袖(そで)こそぬるれたらちねの  かしらにおきししゐしばのつゆ 此一 首(しゆ)を詠(えい)ぜられしに義教(よしのり)将軍(せうぐん) ことのほか御 感(かん)ありて執奏(しつそう)なし給ひ 従(じゆ)い四位の下に叙(じよ)せられしとかや 詠哥(えいか)多(おほ)く新続(しんぞく)古今集(こきんしう)に 載(のせ)らるゝ其後(そのご)嘉吉(かきつ)元年六 月廿四日 赤松(あかまつ)満祐(まんゆう)謀反(むほん)を企(くはだ)て 義教(よしのり)将軍を弑(しい)し奉る持世も 其日(そのひ)御 供(とも)にてありしかば彼所(かしこ)にて 手いたく戦(たゝか)ひ深手(ふかで)を負(おひ)けれど 塀(へい)をのり越(こ)え立退(たちのき)しかども 疵(きず)養生(やうじやう)届(とゞ)かざるや七月八日 了(つひ)に落命(らくめい)す 【左頁下段】  大内(おふち)修理(しゆりの)大夫(だいぶ)持世’(もちよ) さらぬだに  ほさぬ 袖師(そでし)  の  浦(うら)  千鳥(ちとり)  いかに     せよとて  寝覚(ねざめ)とふらむ