翻刻
【右頁上段】
細川(ほそかは)勝元は武蔵守(むさしのかみ)持之(もちゆき)の嫡子(ちやくし)にて
智勇(ちゆう)兼(かね)たる大将也十六 歳(さい)の時より
管領職(くわんれいしよく)をつとめ政徳(せいとく)正(たゞ)しければ人
皆(みな)尊敬(そんけい)す然(しか)るに山名入道 宗全(そうぜん)と
確執(くわくしつ)に及(およ)び合戦(かつせん)数度(すど)にして都 動(どう)
乱(らん)す相国寺(そうこくじ)を預(あづけ)おきし安冨(やすとみ)民部(みんぶの)
丞(ぜう)元網(もとつな)我身(わがみ)に替(かは)りて討死(うちひに)せしを
悲(かな)しみ鎧(よろひ)の袖(そで)を干(ほし)もあへず此哥を
追慕(つひぼ)に手向(たむけ)なほ弔(とむらひ)合戦して敵(てき)
あまた打亡(うちほろぼ)すといへども諸国(しよこく)の軍勢 相(あひ)
加(くはゝ)り山名方十一万 余(よ)人細川方十六万
余(よ)ときこえし文明(ぶんめい)五年三月十九日山名
宗全(そうぜん)病死(べうし)しければ勝元(かつもと)方(かた)へ日々 勢(せい)の加(くはゝ)る
こと限(かぎ)りなき程(ほど)なりしに五月十一日勝元も重(てう)
病(べう)に侵(をか)されて卒去(そつきよ)せしかば頼(たのみ)をかけし
軍勢(ぐんぜい)ども思ひの外(ほか)に機(き)を損(そん)じ盲人(もうじん)の
杖(つえ)に放(はな)れしごとし味方(みかた)の内にはかなきを観(くわん)じてある人
〽いづくにか身(み)をもよせまししら雲(くも)の
たなびくみねもさだめねければ
【右頁下段】
細川(ほそかは)勝元(かつもと)
藻塩(もしほ)草(くさ)
かくとは
たれか
しら
露(つゆ)の
消(きえ)しに
つけて
ぬるゝ
袖(そで)かな
【左頁上段】
応仁(おうにん)の大 乱(らん)山名細川の大 軍(くん)都(みやこ)に
戦(たゝか)ひ爰彼所(こゝかしこ)より兵火(へうくわ)盛(さかん)に起’(おこ)り