東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 27

ページ: 27

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【右丁上段】 畠山(はたけやま)伊豫守(いよのかみ)義就は持国(もちくに)入道 徳本(とくほん)の子なり徳本 始(はじ)め子なきが ゆゑ舎弟(しやてい)持富(もちとみ)の子を養子(ようし)として 尾張守(おはりのかみ)政長(まさなが)と号(がう)し家督(かとく)たり しが其後 徳本(とくほん)妾腹(せうふく)にこの義就(よしなり) うまれしかば愛(あい)におぼれ家督(かとく)を又 義就(よしなり)に継(つが)せんと政長を憎(にく)むこと甚(はなはだ) し是よりこと起(おこ)りて政長義就 兄(きう) 弟(だい)数年(すねん)弓矢(ゆみや)に及び争(あらそ)ひ止(やむ)とき なし義就 将軍家(せうぐんけ)の首尾(しゆび)あしく 河内(かはち)の若江(わかえ)へ赴(おもむ)きしとき螺(ほら)が峠(とうげ)に かゝり都(みやこ)をかへり見て此うたはよめり此 人将軍の御 勘気(かんき)を三 度(たび)蒙(かう?)りて 三度 免許(めんきよ)ありし人なり応仁乱(おうにんらん)に 山名 宗全(そうぜん)がた一 番(ばん)の味方(みかた)にして 洛中(らくちう)の大 合戦(がつせん)に政長の勢(せい)を 切なびけ七百 騎(き)を打 取(と)り敵(てき) 味方の耳目(じもく)をおどろかせし                人なり 【下段】 うかり ける  都(みやこ)に何(なに)の 情(なさけ)ありて 忘(わす)れ  ぬ 夢(ゆめ) の 残(のこ)る   おもかげ   畠山(はたけやま)義就(よしなり) 【左丁上段】 大内(おほち)左京大夫 正弘(まさひろ)は贈(ぞう)三 位(ゐ) 教(のり)弘の子にして四ケ国(こく)の守(しゆ) 護(ご)なり応仁(おうにん)の乱(らん)にも名誉(めいよ)を あらはし其名中国に鳴(な)れども いまだ正五位下にて四位の叙階(じよかい) を望(のぞま)れけれども小 折紙(をりかみ)むなし く年月を歴(へ)けるほどに祖父(そふ) 持世(もちよ)のふることを思ひある時かこ ちて此哥を詠(よみ)ければかたじけな くも叡聞(えいぶん)に達(たつ)し則(すなはち)四位下 を勅許(ちよくきよ)ありなほ又長享元年 十二月 従上(しゆしやう)に昇(のぼ)る古(いにし)への兵庫(へうごの) 頭頼(かみより)政はしゐを拾(ひろ)ひてとよみ て三位に叙(しよ)せられ正弘は折(を)る ことかたきとよみて四 位(ゐ)に昇(のぼ)る 武勇といひ歌道(かどう)といひ頼(より) 政の再来(さいらい)にやと都鄙(とひ)かたり つぎて皆(みな)感称(かんしやう)せしとかや 【下段】  大内(おほち)左京大夫(さきやうのだいふ)正弘(まさひろ) たよりなき  外山(とやま)に 住(すみ)  て 下(しづ) 枝(え)をも  をることかたき 峯(みね)の椎柴(しひしば)