東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

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續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 28

ページ: 28

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【右丁上段】 義植(よしたね)公は義視卿(よしみけう)の御子にて義政(よしまさ) 公の御 猶(ゆう)子となり義尚(よしひさ)公の後(のち)将 軍となり畠(はたけ)山 義豊(よしとよ)下知(げち)に応(おう)ぜ ざるを御 誅伐(ちうばつ)の為 河内(かわち)へ下向(げかう)あり て正覚寺(せうがくじ)に在陣(ざいぢん)の所(ところ)古 籏下(はたした)の将(せう) 細川 武蔵守(むさしのかみ)政元(まさもと)俄(にはか)に敵(てき)義豊(よしとよ)と 一 味(み)して将軍(せうぐん)を討(うち)奉らんと不意(ふい)に 御陣へおし寄(よせ)ければ義植(よしたね)公 軍利(ぐんり)を 失(うしな)ひ政元(まさもと)の為に厳(きび)しく押籠(おしこめ)られ しに助(たすく)るものありて一ㇳまづ落(おち)のび西国 へ下向の折から厳嶋(いつくしま)有(あり)の浦(うら)にて 〽わがたのむ神(かみ)のめぐみのありの浦(うら)  ありしむかしにかへせしらなみ また周防(すはう)の国(くに)都浜(みやこはま)にて 〽はまの名の都わすれな夕ぐれに  たつうら浪(なみ)もなくねそふらん 大内 義興(よしおき)を御たのみありて細川政元を 退治(たいぢ)せられ都にましませども御心の儘(まゝ) ならず阿波(あは)の御所(ごしよ)に移(うつり)て此歌を詠ず 【下段】 日をそへて  袖(そで)の湊(みなと)も せきあへず 身(み)を 知  る あめの  うらの   みだれに   足利義植公(あしかゞよしたねこう) 【左丁上段】 大内義興(おほちよしおき)は父祖(ふそ)の跡(あと)を継(つぎ)四ヶ国を 領(りやう)し猶(なほ) 備後(びんご)安芸(あき)石見(いはみ)等に武威(ぶゐ)を 震(ふる)ひ諸国を敵(てき)となして十四年が間(あいだ) 策(はかりごと)をめぐらし都へ責(せめ)上り守護して 義植(よしたね)公を再(ふたゝ)び天下の武将(ぶせう)にそなへ 賢徳(けんとく)異国(ゐこく)までも聞(きこ)え歌道(かどう)にも 名(な)ありてよみ歌(うた)あまたの中に永正(えいせう)八 年の冬(ぶゆ)都にありて佳境(かきやう)に目を悦(よろこば) しめ中にも比叡山(ひえいざん)のみねに雪(ゆき)をかさ ねしはあづまの富士(ふじ)山にもまぎれず 眺望(てうもう)かぎりなくおぼえて 〽かくばかり遠(とほ)くあづまのふじのねを  今ぞみやこのゆきのあけぼの 此歌 堂上(どうしやう)にきこえてかたじけなく も和答(わたふ)の詠(えい)を下されかつ又 天聴(てんてう)に達(たつ)し御製(ぎよせい)をたまはる 〽ゆきに見る山は富士(ふじ)のねことのはの  よゝにその名も雲(くも)のうへまで 【下段】   多々良(たゝら)     義興(よしおき) うき  ふしも かき  つけ   おかば  人や見ん   かゝるためしも  昔(むかし)ありきと