翻刻
【右頁上段】
太田 隠岐守(おきのかみ)隆道は大内(おゝふち)義隆(よしたか)の
清臣(しん)にて勇猛(やうまう)の人也天文二十年の春(はる)
陶(すへ)尾張守(をはりのかみ)隆房(たかふさ)隠居(いんきよ)と号(がう)し富(とみ)
田(た)に引籠(ひきこもり)けるを是 全(また)く反逆(ほんぎやく)の色(いろ)と
悟(さと)り冷泉(れいぜい)隆豊(たかとよ)天野(あまの)藤内(とうない)等(ら)と共(とも)
に大将(たいせう)義隆のまへに出て逆徒(ぎやくと)等
追伐(つひばつ)のため富田(とみた)へ夜討(ようち)をかけ陶(すへ)を
打取(うちとら)ん策(はかりごと)を申すといへども義隆(よしたか)闇愚(あんぐ)
にて承引(せういん)し給はへば歯(は)がみをなし大内
家(け)の運命(うんめい)傾(かたぶ)きしとき也と涙(なみ退だ)ながらに
引 退(しりぞ)き其後(そのご)山口 没落(ぼつらく)に千 悔(くわい)して
足(あし)ずりすれどもその詮(せん)なく義隆(よしたか)とゝも
に十三 騎(き)になるまで付そひ大将 生(しやう)
害(がい)のあひだ修羅(しゆら)のあれたるごとく戦(たゝか)
ひ防(ふせ)ぎ敵(てき)を討(うち)とること数(かず)しれず矢(や)
だねつき太刀 折(をれ)ければ今は是(これ)まで也
と此歌を辞世(じせい)として自害(じがい)して誉(ほまれ)
を末代(まつだい)にのこしぬ大内主従(しう〴〵)滅亡(めつぼう)は
天文(てんもん)二十年九月朔日(ついたち)のことなり
【右頁下段】
太田(おほた)隆道(たかみち)
秋風(あきかぜ)の至(いた)り
いたらぬ
山蔭(やまかげ)にのこる
もみ
ぢ
も
散ず
やは
ある
【左頁上段】
右田(みぎ)右京亮 多々羅(たゝら)隆次(たかつぐ)は義(よし)
隆(たか)の一 族(ぞく)也 義隆(よしたか)陶(すへ)がために山口を
■運(うん)かたぶきて長州(てうしう)大 寧寺(ねいじ)
まで落(おち)給に道(みち)に度々踏(ふみ)とゞまりて
敵(てき)を防(ふせ)ぎ義隆(よしたか)最期(さいご)の辞世(じせい)に
〽討(うつ)人もうたるゝ人ももろともに
如露(によろ)亦(やく)如電(によでん)応作(おうさ)如是観(によぜくわん)
右田もともに此うたを辞世(じせい)にのこし
大将の自害(じがい)の後(のち)も障子(せうじ)蔀(しとみ)な
ど焼(やき)草(くさ)を取(とり)かさね死骸(しがい)に火を
掛(かけ)よせくる敵(てき)を矢(や)だねのかぎり
射(い)たほし朋友(ほうゆう)天野(あまの)藤内(とうなゐ)黒(くろ)
川 隆像(たかかた)太田 隆道(たかみち)岡部(おかべ)隆(たか)
影(かげ)冷泉(れいぜい)隆豊(たかとよ)等とともに切(きつ)
先(さき)をそろへ切て出 敵(てき)をうつ事
かぎりもなく右の勇士(ゆうし)等と一 同(とう)
仏間(ぶつま)に列座(れつざ)し腹(はら)かき切り臓(はらわた)
を掴(つか)みいだし死(し)をいさぎよくして
名(な)を後代(こうだい)にのこしぬ
【左頁下段】
右田(みぎた)右京亮(うきようのすけ) 隆次(たかつぐ)
末(すゑ)の露(つゆ)本(もと)の
雫(しづく)にしるや
いかに
終(つひ)に
おく
れぬ
世の
習(なら)ひとは