翻刻
【右頁上段】
岡部(おかべ)隆景は大内 義隆(よしたか)の臣下(しんか)に
て陶(すへ)尾張守(をはりのかみ)が逆意(ぎやくい)に仍(よつ)て義隆
とともに山口を落(おち)のび主従(しう〴〵)十三人
長門(ながと)の瀬戸崎(せとさき)へ船(ふね)をよせ深川(ふかは)
の称名(しやうめう)の市(いち)を通(とほ)りけるに三浦
将監(せうげん)尾和(をは)兵庫允(へうごのすけ)しきりに追(おつ)
かけ義隆(よしたか)を討(うた)んとす岡部(おかべ)隆景
大きに怒(いか)り譜代(ふだい)相伝(さうでん)の主君(しゆくん)
に向(むか)ひて弓(ゆみ)ひく奴(やつ)原(ばら)人面(じんめん)獣心(じうしん)敵に
は不足(ふそく)なれど冥土(めいど)の道づれ供(とも)せよ
といふ侭(まゝ)に大太刀 抜(ぬい)て切ちらせば此
勢(いきほ)ひに恐(おそ)れ敵引(てきひき)いろに見えければ
引かへして義隆におひつき又 追(おひ)くれ
ば取(とつ)てかへし火の出るまで戦(たゝか)ひてもり
かへすこと六七 度(ど)身には簔(みの)毛(け)のごとく
矢(や)をおひ大 寧(ねい)寺にてもきびしく
はたらき主従(しう〴〵)居(ゐ)ならび最期(さいご)のいと
まごひし此哥をかきのこして腹(はら)かき
切り義名(ぎめい)を末世(まつせ)に伝(つた)へけり
【右頁下段】
岡部(おかべ)右衛門太夫(ゑもんのたいふ)隆景(たかかげ)
白露(しらつゆ)の
消(きえ)ゆ
く
あき
の
名残(なごり)
とや
しばしはのこる
すゑのまつ風
【左頁上段】
八幡(やはた)の祢宜(ねぎ)民部丞右信は義隆(よしたか)
に随(したがつ)て名高き勇者(ゆうしや)なり和哥も
よくす去年(きよねん)義隆 龍福寺(りうふくじ)において
和歌(わか)の会(くわい)を催(もよほ)せし時民部丞も同席(どうせき)
なり然るにそのざに見なれぬ老僧(ろうそう)一
人ありて物がたりなどせしが連衆(れんしゆ)は
寺の僧(そう)と思い寺のものは召(めし)つれられ
たる人とおもひ程(ほど)すぎ満座(まんざ)■■■
て静(しづか)なる折(をり)からかの僧 樗(おふち)といふ題(だい)を
操(さぐ)りて一 首(しゆ)よみ民部丞にわたす右(みぎ)
信(のぶ)則(すなはち)詠草(えいさう)をとりよみて見るに
〽しるやいかにすゑの山風 吹(ふき)おちて
もろく 樗(おふち)のちりはてんとは
此哥を再吟(さいぎん)せんとせし時かの僧
はかき消(けす)ごとく失(うせ)けり民部丞おもふに
是 陶隆房(すえたかふさ)反逆(ほんぎやく)によりて大内 家(け)
の衰(おとろ)へを告(つげ)し也と歎(なげき)しが天の命(めい)
ずる所と心を必死(ひつし)に決(けつ)しつひに
大 寧寺(ねいじ)にて勇(ゆう)をあらはし戦死(せんし)す
【左頁下段】
民部丞(みんぶのぜう)右信(みぎのぶ)
風(かぜ)をあらみ跡
なき露(つゆ)の
草(くさ)のはら
散(ちり)
の
こる
花も
幾’(いく)ほどの
世ぞ