東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 35

ページ: 35

翻刻

【右頁上段】 武田(たけだ)左馬介 信繁(のぶしげ)は大膳大夫 信玄(しんげん)の 舎弟(しゃてい)也 兵学(へうがく)に秀(ひいで)軍立功者(いくさだてこうしや)なるがゆへ 信玄 片腕(かたうで)のごとく思ひ大事(だいじ)の場所へは此 人を備(そなへ)させしといふ信繁 子息(しそく)へ遺書(ゆいしよ) の中に戦場(せんじやう)において聊(いさゝか)未練(みれん)すべからず生(いき)ん とすれば死(し)す必死(かならずしな)んとすれば則生(すなはちいき)る忠節(ちうせつ) の臣(しん)を忘(わする)べからず善悪同(ぜんあくおなじ)うする時は忠臣 倦(う)む褒美(ほうび)は大 細(さい)によらず則 感(かん)ずべき也 功(こう)を賞(しやう)すべきに時を踰(こえ)ず深(ふか)く思ひ立義(たつぎ) ありとも餘義(よぎ)なき異見(いけん)についてはその意(い) に任(まか)すべし無行義(ぶぎやうぎ)の人に近付(ちかづく)べからず 其(その)人をしらば其友(そのとも)を見よ人は賢(さかしき)に馴(なれ) よ賎(いやしき)にふるゝことなかれ花中(くわちう)の鶯舌(おうぜつ)は 花(はな)ならずして香(かう)ばし是等(これら)のこと数(す)ケ條(かでう) あり永禄(えいろく)四年九月十日川中嶋合戦に 左馬介は左備(ひたりそなへ)なりしが籏本(はたもと)手詰(てづめ)の勝(せう) 負(ぶ)ありて甲州(かうしう)方 軍難義(いくさなんぎ)に及(およ)ぶ此時 山本勘介 初鹿野(はじかの)源五郎等 討死(うちじに)す此日 信繁も討死して勇名(ゆうめい)を世に残(のこ)せり 【右頁下段】  武田左馬介信繁(たけださまのすけのぶしげ) 数なら  ぬ 心 の とがに なし  はてし しらせてこそは  身をもうらみめ 【左頁上段】 多々良(たゝら)義長は大友(おおとも)入道 義鑑(よしあき)の 三男なれども大内 義隆(よしたか)ほろびて のち陶(すえ)尾張守 全薑(ぜんきやう)がはからひにて 大内の 養子(やうし)として家督(かとく)たりしが 政事(せいじ)のことは全薑の思ひの侭(まゝ)なれば 義長は席上(せきしやう)に座(ざ)すのみ也 弘治(こうぢ) 元年いつく嶋(しま)において陶(すへ)入道 亡(ほろ) びてのちは国中の者(もの)どもおもひ〳〵に 確執(くわくしつ)の臣(しん)おほく義長の下知(げち)にした がふものすくなく山口の築山御所(つきやまごしょ) 衰(おとろへ)たる折(をり)から毛利勢大 軍(ぐん)にて 押寄(おしよせ)ければ一とさゝへもせず没落(ぼつらく)に および長府(てうふ)の長福院(てうふくいん)に立退家(たちのきけ) 来(らい)ども一先(ひとまづ)豊前(ぶぜん)へ落(おち)大友家と合(がつ) 躰(たい)して恥辱(ちぢよく)をすゝがんといへども古(こ) 卿(けう)は錦(にしき)をかざるべきに養家(やうか)を失(うしな)ひ 名を汚(よご)して人に面(おもて)を向(むく)べきやうなしと 義長 覚悟(かくご)して此 辞世(じせい)をかきのこし 腹(はら)十文字にかき切て死(し)す 【左頁下段】  多々羅義長(たたらよしなが) さそふとも  何(なに)か 恨(うらみ)ん 時(とき)  きては 嵐(あらし)のほかの  花(はな)も こそ  ちれ