翻刻
【右頁上段】
三好(みよし)新五郎 入道(にうだう)宗三は長輝(ながてる)入道
希雲(きうん)の五男にて長慶(てうけい)とは従弟(いとこ)な
れども中不和(なかふは)にして鉾楯(むじゆん)に及(およ)び摂州(せつしう)
榎波(えなみ)中嶋 両城(りやうぜう)に籠(こも)る天文十八年
正月 長慶(てうけい)これを攻(せめ)んと大 軍(ぐん)にて押(おし)
寄(よせ)けるに三好宗三人 数(ず)をおし出して
江口の里(さと)に陣(じん)をとる長慶(てうけい)の軍勢(ぐんせい)江
口と根城(ねじろ)の道を取切(とりきり)兵粮(へうらう)を断(たゝ)ば攻(せめ)
ずとも滅(ほろ)ぶべしと其道をふさぐ宗三
飛脚(ひきやく)を走(はせ)て江州の六 角家(かくけ)へ加勢(かせい)を
たのむに近日(きんじつ)むかふべしとあれば是を待(まち)
て江口の陣中(ぢんちう)にて此歌をよむ斯(かく)て
江州六 角(かく)義賢(よしかた)二万人にて出馬(しゆつば)の
よしを長慶方(てうけいがた)きゝつけさらば加勢(かせい)の
来(きた)らぬさきに打取(うちと)れと惣軍(そうぐん)川を渡(わた)し
急(きう)に攻(せめ)たてければ宗三が勢(せい)終(つひ)
に敗軍(はいぐん)して大崩(おほくづ)れとなり
宗三入道 河内勢(かはちせい)の大軍(たいぐん)の
中に討死(うちじに)す
【右頁下段】
三好(みよし)宗三(そうさん)
川舟(かはふね)を
とめ
て
江口(えぐち)の
明暮(あけくれ)に
問(とは)んともせぬ
人をまつかな
【左頁上段】
義輝公(よしてるこう)は義晴(よしはる)公の長男(てうなん)也 永禄(えいろく)八年
五月十九日 三好日向守(みよしひうがのかみ)松永弾正等(まつながだんぜうら)反逆(ほんぎやく)
して大和河内(やまとかはち)より京に入り室(むろ)町御所を取(とり)
囲(かこ)み鉄砲(てつほう)を打(うち)かけ無二むざんに攻(せめ)ければ防(ふせぐ)
者(もの)どもおほく打 死(じに)す沼田(ぬまた)上野介と同朋(どうぼう)
福阿弥(ふくあみ)といふもの敵の合印(あいしるし)の竹(たけ)の葉(は)を
腰(こし)にさし外(そと)より紛(まぎれ)入御 前(ぜん)に参(まゐ)り我等(われら)二
人 防(ふせ)ぎ候はん君には日頃愛(ひごろあい)せられ候 名(めい)
馬(ば)に召(め)して東川辺に駈(かけ)入給はゞ御 運(うん)
を開(ひらか)せ給ふべしと涙(なみだ)を流(なが)して申けれ
ば神妙(しんべう)によく申つるぞされども汝等(なんぢら)が
打死(うちしに)したる跡(あと)にのこりとゞまるべきや最(さい)
期(ご)の軍(いくさ)して賊徒(ぞくと)等が目を覚(さま)させ
んと近士(きんし)等とともに敵(てき)あまた打取り
折(をり)ふし時鳥(ほとゝぎす)の声(こへ)きこえければ筆(ふで)を取(とり)て
〽五月雨はつゆか涙(なみだ)かほとゝぎす
わが名をあげよ雲(くも)のうへまで
是を辞世(じせい)として主従(しう〴〵)同じ枕(まくら)に
腹(はら)かき切て果(はて)給ふ御とし三十七也
【左頁下段】
光源院義輝公(くわうげんいんよしてるこう)
よしや
今
頼(たのま)
ずとても
言(こと)の葉(は)
の
かはるが
すゑに
思ひ
あはせよ