翻刻
【右頁上段】
松永(まつなが)弾正は摂州嶋上群(せつしうしまかみこほり)の民間(みんかん)
より出て始(はじめ)は貧(まづし)き者なりしが神峰山(しんぶせん)
の毘沙門(びしやもん)天を信(しん)じ参詣(さんけい)怠(おこた)らす大晦
日の夜そのかへるさに松明(たいまつ)の火(ひ)きへて難義(なんぎ)
せしに化野(あだしの)の煙(けふ)り立(たつ)を見て世(よ)の有(あり)さま
を観(くわん)じ死人(しにん)を火葬(くわそう)の火を松明にうつし
夫(それ)にそなへし供物(ぐもつ)を取(とり)かへりて翌朝(よくてう)正月
元日に祝義(しうぎ)をいはひ是よりだん〳〵冨貴(ふつき)と
なれり松 虫(むし)を飼(か)ふことを好(このみ)しが手をこ
めて養(やしな)ひければ既(すで)に三年 生(いき)たり弾正
思ふに虫さへ斯(かく)のごとしまして人には養(やう)
生(ぜう)あるべきことなりと申けり後 信長(のぶなが)と
戦(たたか)ひまけ自害(じがい)すべき前(まへ)に灸(きう)をす
ゑ居(ゐ)たるを見てある人今 死(し)する身に
何(なに)の養生(やうぜう)ぞやと申ければ弾正 答(こたへ)て我(われ)
は常(つね)に中風(ちうぶ)の病(やまひ)あれば死(し)にのぞみ起(おこ)る
ならば臆(おく)したりと人の笑(わらは)ん病を防(ふせ)
ぎ置(おき)心よく自害(じがい)せんため成と灸を仕(し)
舞(まひ)て切腹(せつふく)す心にとめおくべきことなり
【右頁下段】
松永弾正忠久秀(まつながだんぜうのちうひさひで)
世(よ)の中(なか)に
春(はる)
なか
り
せ
ば
いかで
かは
花(はな)の影(かげ)に
て
きみにあひみん
【左頁上段】
福井(ふくゐ)小次郎は父 源(げん)左衛門と共(とも)に
中国(ちうごく)より撰(えら)ばれて備前福岡(びぜんふくおか)の城(しろ)
に籠(こも)り隣国(りんごく)の敵(てき)を引(ひき)うけ数度(すど)
戦(たゝか)ひけれども屈(くつ)する色(いろ)なくある日 敵(てき)
の油断(ゆだん)を見(み)すまし父とゝもに討(うつ)て
出思ふまゝ働(はたら)き引(ひき)上け父は城(しろ)に入たり
と思ひ尋(たづぬ)るに行方(ゆきがた)見えざれば驚(おどろ)
き又 城外(じやうぐわい)に打て出 寄手(よせて)の中へ名の
り出 横立(よこたて)に切てまはりしがあまり戦(たゝか)
ひ労(つか)れ身躰自在(しんたいじざい)ならねば家人(けにん)
ども肩(かた)にかけ引入しに手疵(てきず)二十六
ケ 所(しよ)あれば終(つひ)に活(いき)たえたり跡(あと)に
鎧櫃(よろひひつ)に母の方への文(ふみ)あり幼少(ようせう)の時
より御 別(わか)れ参(まゐ)らせ此 侭(まゝ)打死せば
御 歎(なげき)の程(ほど)こそ心にかゝり候しばしこの
世に残(のこ)り給ふとも終(つひ)にはあふべき
所こそ候へば御 心(こゝろ)をなぐさめさせ玉
へとかきておくに此 歌(うた)あり今年(このとし)十
九歳なりとかや
【左頁下段】
福井小次郎政家(ふくゐのこじらうまさいへ)
生(うま)れこ親子(おやこ)
の契(ちぎ)り
いか
なれば
おなじ
世(よ)に
だに
へだて果(はつ)らむ