東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 40

ページ: 40

翻刻

【右頁上段】 浅井備前守(あさゐびぜんのかみ)長政は下野守(しもつけのかみ) 久政(ひさまさ)の子にて和漢(わかん)の学(がく)に名高(なたか) く武勇(ぶゆう)のきこえある将(せう)なり永禄(えいろく) 三年の春(はる)十六 歳(さい)にて北近江(きたあふみ)五 郡(ぐん)の軍勢(ぐんせい)を引率(いんそつ)し六 角(かく)入道 承禎(でうてい)同右衛門佐 義弼(よしかず)の多勢(たせい) を引うけ一戦(いつせん)に打勝武名(うちかちぶめい)を遠(ゑん) 近(きん)にあらはし江州(ごうしう)一国をこと〴〵く    切なびけ手にたつ者なし同七 年濃州の織田信長(おたのぶなが)の妹聟(いもとむこ) となり其比 威勢近国(ゐせいきんごく)に鳴動(めいどう)す 越前(えちぜん)の朝倉(あさくら)と年来睦(ねんらいむつみ)しに織(お) 田信長盟約(だのぶながめいやく)を破(やぶ)り朝倉を討(うつ) ことを憤(いきどほ)り出陣す此歌は軍船(ぐんせん) を湖上(こしやう)に浮(うか)め有明(ありあけ)の月のてらす を見て今 武備(ぶび)に隙(いとま)なき干戈(かんか)の 内にも月花(つきはな)は心をなぐさむものを月(げつ) 卿雲客(けいうんかく)の優美(ゆうび)の人には詠(ながむ)る心は 別(へつ)なるやいかがぞとよみし哥也  【右頁下段】 浅井長政(あさゐながまさ) さゞ波(なみ)や 志(し) 賀(が)  の うら  はに すむ月を  いかゞ見(み)るらん    雲(くも)の上人(うへびと) 【左頁上段】 朝倉左衛門督義景(あさくらさゑもんのかみよしかげ)は越前(ゑちぜん)一国 を領(りやう)して武威盛(ぶゐさか)んなれば新公方(しんくばう) 義昭(よしあき)公 彼国(かのくに)へ御動座(ごどうざ)ありて当敵(だうてき) 三好退治(みよしたいぢ)のことを御 頼(たのみ)ありしに朝 倉御 請(うけ)に及びしかば義昭公御 悦(よろこ)びの 余(あま)り義景(よしかげ)の母を執奏(しつそう)ありて二 位(ゐ) の尼(あま)に任(にん)ず永禄(えいろく)十年の春(はる)一 乗谷(じやうだに) 南陽寺(なんようじ)にて公方家 花(はな)の宴(えん)あり 義景此 歌(うた)を詠(えい)ず其 後(のち)義景の 息男阿君(そくなんあきみ)丸 死去(しきよ)せし故義景 愁(うれい)に 沈(しづ)み軍 延引(ゑんいん)に及びし折(をり)から織田信長(おたのふなが) より密使来(みつしきた)り公方家 上洛(しやうらく)の義を進(すゝ) め申すにより義昭(よしあき)公越前を御 開(ひら)き あり濃州岐阜(のうしうぎふ)へ赴(おもむ)き給ふ是より信(のぶ) 長将軍再興(ながせうぐんさいこう)と号(がう)し諸国(しよこく)を平呑(へいどん)せ んとす義景の女(むすめ)を本願寺(ほんぐわんじ)へ嫁(か)して 朝倉と本願寺 唇歯(しんし)の因(ちなみ)を結(むす)び相(あひ) 互(たがひ)に急難(きふなん)を助(たすく)る約(やく)ありし故信長これ を憎(にく)み終(つひ)に確執(くわくしつ)に及ぶこととなりけり 【左頁下段】  朝倉義景(あさくらよしかげ) 君(きみ)が代(よ)の  時(とき)に   あひ あふ 糸(いと) 桜(さくら) いとも   けふの かしこき   ことの           は