翻刻
【右頁上段】
鈴木(すゞき)重幸は始(はじめ)源(げん)左衛門といふ紀州(きしう)より
出て鈴木三郎 重家(しげいへ)の子孫(しそん)也信長 石(いし)
山 本願寺(ほんぐわんじ)を攻(せむ)るに仍(よつ)て門徒(もんと)よりたのみ
重幸(しげゆき)を軍将(ぐんしやう)とす重幸 采配(さいはい)をとるに勝(せう)
利(り)を得(え)ざることなしさしもの信長十 余年(よねん)戦(たゝか)
へども石(いし)山 勢(せい)に勝(かつ)ことを得(え)ざれば怒(いかり)て宗(しう)
旨(し)の根(ね)を断(たゝ)んと欲(ほつ)す重幸 猶(なほ)も策(はかり)て大 敵(てき)
を碎(くだか)んと思ひしに夢中(むちう)に尊(たつと)き僧(そう)あらはれて
〽最上(もがみ)川人をくだせばいなぶねの
かへりてしづむものとこそきけ
此 縁(えん)心ならず思ふに又の夜 同僧(おなじそう)の
〽世を治(をさ)め民(たみ)をたすくるこゝろこそ
やがてみのりのまことなりけれ
此 歌(うた)に悟(さと)り心 晴(はれ)て信長 我(われ)を憎(にく)みける
ゆゑ猶(なほ)宗旨(しうし)をにくむ我(われ)死(し)なば心とけて攻(せめ)
ること緩(ゆるやか)ならんと覚悟(かくご)をなし一 族(ぞく)鈴木 孫市(まごいち)
に遺言(ゆいげん)して謀(はかりごと)の書(しよ)をのこし出陣の砌(みぎり)此
歌をよみ心の侭(まゝ)戦ひて敵を悩(なやま)し其後(そのご)入(じゆ)
水(すい)せしとも山 籠(ごもり)するとも言(いひ)て行方(ゆくへ)しれず
【右頁下段】
あけぼのゝ空(そら)
とぼその
の
花(はな)
ん
なら
春(はる)
外(ほか)の
うき世(よ)の
これやこの
鈴木飛騨守重幸(すずきひだのかみしげゆき)
【左頁上段】
森迫(もりさご)三十郎は豊後国(ぶんごのくに)大友(おほども)の幕下(ばくか)
森迫 兵部允(へうぶのぜう)親数(ちかかず)の子なり肥後(ひご)
の国人 合志伊勢守(がつしいせのかみ)と戦(たゝか)ひの砌(みぎ)り親(ちか)
正(まさ)わづか十七 歳(さい)常(つね)に優美(ゆうび)にして
文武(ぶんぶ)の心がけ深(ふか)し其日のし出立(いでたち)には
白糸縅(しらいとおどし)の鎧(よろひ)に鍬形(くはがた)の兜(かぶと)を着(ちやく)し
手荒(てあら)き馬(うま)に打のり敵(てき)を駈散(かけち)らし
合志 方(がた)山本十郎と戦(たゝか)ひ火花を
散(ち)らせしが組打(くみうち)となり両馬(りやうば)が合(あひ)に
落(おち)けるがなんなく山本を組敷(くみしき)し
に彼(かれ)が良等(らうどう)走付(はせつき)て親正の草摺(くさずり)
をたゝみ上け二刀(ふたかたな)さしければたゞよふ所
を山本はねかへしつひに三十郎は
討(うた)れにけり親正が兜(かぶと)の立物は
三本 菖蒲(せうぶ)の中に金の短冊(たんざく)あ
りて此命よりの歌を書(かき)つけたり
此首 実検(じつけん)の折(をり)から是(これ)を見(み)し
人〳〵感涙(かんるい)をながし惜(をし)まぬもの
はなかりしとなん
【左頁下段】
森迫(もりさご)三十郎 親正(ちかまさ)
命(いのち)より
名(な)こそ
惜(をし)けれ
武士(ものゝふ)の
道(みち)をば
誰(たれ)
も
か
く おも
や はむ