東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 43

ページ: 43

翻刻

【右頁上段】 三村(みむら)元親は備中(びつちう)松山の城主(ぜうしゆ)なりしが 毛利家(もうりけ)と弓矢(ゆみや)に及(およ)び籠城(らうじやう)年をかさ ね堅固(けんご)なりしが兵粮乏(へうらうとぼ)しく降参(かうさん)する 者 多(おほ)く城(しろ)の保難(たもちがた)きを知(しつ)て城外松連寺(ぜうぐわいせうれんじ) に退(しりぞ)き敵方(てきかた)より検使(けんし)を乞(こひ)て切(せつ)ふくす 最期(さいご)に筆(ふで)を染(そめ)親友(しんゆう)細川 藤孝(ふじたか)の方へ  〽一とたびは都(みやこ)の月とおもひしに   われまづ空(そら)の雲(くも)がくれして 竹田(たけた)法印は親類(しんるい)なれど戦国(せんごく)の 隔(へだて)に文通(ぶんつう)のみに対面(たいめん)せねば  〽ことのはのつてのみ聞ていたづらに   此世の夢(ゆめ)よあはでさめけり 又 大庭加賀守兼賢(おほばかゞのかみかねかた)は和歌(わか)の師(し) にて深(ふか)き情(なさけ)を通(つう)ぜし人なれば  〽のこしおくことのは草(ぐさ)のかげまでも   あはれをかけて君(きみ)ぞとふべき 人といふの歌は辞世(じせい)又 位牌(いはい)に書付(かきつけ)しは  〽思ひしれ行(ゆき)かへるべきみちもなし   もとのまことをそのまゝにして 【右頁下段】  もとの雫(しづく)に  かへる 消(きえ)てぞ 露(つゆ) 末(すゑ)の  や ほど  借(か)る 人(ひと)といふ名(な)を  三村修理亮元親(みむらしゅりのすけもとちか) 【左頁上段】 大江(おほえ)元就卿は関東執権(くわんとうしつけん)大膳大夫 廣元(ひろもと)十五代の孫(そん)にて無双(ぶそう)の良将(りやうせう)なり 始(はじ)め芸州(げいしう)半国より武略(ぶりやく)を以(もつ)て次(し) 第(だい)に国を切取(きりとり)陶尾張守全薑(すへをはりのかみぜんきやう)の 勢(いきお)ひ強大(けうだい)なるをも謀略(ぼうりやく)にて厳嶋(いつくしま)へ 引出し悉(こと〴〵く)討亡(うちほろぼ)し尼子(あまご)を始(はじ)め中国を 切(きり)なびけて十州の大守(たいしゆ)となるある夏(なつ) 尼子攻(あまこせめ)の時 軍勢(ぐんぜい)を引て夜(よ)に入り ぬるに是より先(さき)へ味方決(いかたけつ)して押(お)す まじと止(とゞめ)ける故 諸将不審(しよせうふしん)をなす 元就(もとなり)卿 宣(のたま)ふは此川下の蛍(ほたる)を見るに その光(ひか)り一丁ほどつゞきたり其中の絶(たえ) たるはまさしく人の渡(わた)りしに違(ちが)ひはある まじと見に遣(つかは)さるに果(はた)して木の茂(しげみ) に伏勢(ふせせい)ありけり諸人その明智(めいち)を感(かん) ず青柳(あをやぎ)の歌は集外歌仙(しふぐわいかせん)に入又 ある春農業(はるのうぎやう)の苦(く)を思(おぼ)して  〽ちる花を詠(ながめ)ずもしや里(さと)人の   たゞ春ごとに小田(をだ)かへすらん 【左頁下段】   大江元就(おほえのもとなり) 青柳(あをやぎ)の  いと繰(くり) 返(かへ)す その  かみ    は 誰小手(たがをだ)    巻(まき)の  はじめなるらん