翻刻
【右頁上段】
三村(みむら)元親は備中(びつちう)松山の城主(ぜうしゆ)なりしが
毛利家(もうりけ)と弓矢(ゆみや)に及(およ)び籠城(らうじやう)年をかさ
ね堅固(けんご)なりしが兵粮乏(へうらうとぼ)しく降参(かうさん)する
者 多(おほ)く城(しろ)の保難(たもちがた)きを知(しつ)て城外松連寺(ぜうぐわいせうれんじ)
に退(しりぞ)き敵方(てきかた)より検使(けんし)を乞(こひ)て切(せつ)ふくす
最期(さいご)に筆(ふで)を染(そめ)親友(しんゆう)細川 藤孝(ふじたか)の方へ
〽一とたびは都(みやこ)の月とおもひしに
われまづ空(そら)の雲(くも)がくれして
竹田(たけた)法印は親類(しんるい)なれど戦国(せんごく)の
隔(へだて)に文通(ぶんつう)のみに対面(たいめん)せねば
〽ことのはのつてのみ聞ていたづらに
此世の夢(ゆめ)よあはでさめけり
又 大庭加賀守兼賢(おほばかゞのかみかねかた)は和歌(わか)の師(し)
にて深(ふか)き情(なさけ)を通(つう)ぜし人なれば
〽のこしおくことのは草(ぐさ)のかげまでも
あはれをかけて君(きみ)ぞとふべき
人といふの歌は辞世(じせい)又 位牌(いはい)に書付(かきつけ)しは
〽思ひしれ行(ゆき)かへるべきみちもなし
もとのまことをそのまゝにして
【右頁下段】
もとの雫(しづく)に
かへる
消(きえ)てぞ
露(つゆ)
末(すゑ)の
や
ほど
借(か)る
人(ひと)といふ名(な)を
三村修理亮元親(みむらしゅりのすけもとちか)
【左頁上段】
大江(おほえ)元就卿は関東執権(くわんとうしつけん)大膳大夫
廣元(ひろもと)十五代の孫(そん)にて無双(ぶそう)の良将(りやうせう)なり
始(はじ)め芸州(げいしう)半国より武略(ぶりやく)を以(もつ)て次(し)
第(だい)に国を切取(きりとり)陶尾張守全薑(すへをはりのかみぜんきやう)の
勢(いきお)ひ強大(けうだい)なるをも謀略(ぼうりやく)にて厳嶋(いつくしま)へ
引出し悉(こと〴〵く)討亡(うちほろぼ)し尼子(あまご)を始(はじ)め中国を
切(きり)なびけて十州の大守(たいしゆ)となるある夏(なつ)
尼子攻(あまこせめ)の時 軍勢(ぐんぜい)を引て夜(よ)に入り
ぬるに是より先(さき)へ味方決(いかたけつ)して押(お)す
まじと止(とゞめ)ける故 諸将不審(しよせうふしん)をなす
元就(もとなり)卿 宣(のたま)ふは此川下の蛍(ほたる)を見るに
その光(ひか)り一丁ほどつゞきたり其中の絶(たえ)
たるはまさしく人の渡(わた)りしに違(ちが)ひはある
まじと見に遣(つかは)さるに果(はた)して木の茂(しげみ)
に伏勢(ふせせい)ありけり諸人その明智(めいち)を感(かん)
ず青柳(あをやぎ)の歌は集外歌仙(しふぐわいかせん)に入又
ある春農業(はるのうぎやう)の苦(く)を思(おぼ)して
〽ちる花を詠(ながめ)ずもしや里(さと)人の
たゞ春ごとに小田(をだ)かへすらん
【左頁下段】
大江元就(おほえのもとなり)
青柳(あをやぎ)の
いと繰(くり)
返(かへ)す
その
かみ
は
誰小手(たがをだ)
巻(まき)の
はじめなるらん