翻刻
【右頁上段】
友梅(ゆうばい)は備中国(びつちうのくに)手の村 国吉(くによし)の城(じやう)
主(しゆ)手右京亮政親(てのうけうのすけまさちか)が子にて天正二
年十二月 毛利家(もうりけ)の勢(せい)と戦ふころは
友梅 眼病(がんびやう)にて盲目(もうもく)となれり弟(おとゝ)の
新(しん)四郎 政貞(まささだ)とても軍(いくさ)に利(り)なきこと
を見きり五十 余(よ)人打出 死(しに)もの狂(ぐる)ひに
働(はたら)き敵あまた打取り深手(ふかて)を負(おひ)け
れども少しも屈(くつ)せず敵将 栗屋彦(くりやひこ)
右エ門と戦ひ終(つい)に討死(うちしに)しければ友梅
今は是までなり弟(おとゝ)に追付(おいつか)んと良等(らうどう)
坂下彦(さかしたひこ)六郎が肩(かた)にすがり敵中へ
蒐入我首取(かけいりわがくびとつ)て見よと呼(よば)はりながら大
太刀にて盲(めくら)打に働(はたら)き終(つひ)に木原(きはら)次
郎兵衛に討(うた)れて死す坂下彦六
郎も同枕(おなじまくら)に自害(じがい)して死せり友
梅 竹(たけ)の枝(えだ)に短冊(たんざく)を付此歌を書(かき)
さし物として軍中(ぐんちう)に死すはためし
すくなき盲人(もうじん)なりと皆感涙(みなかんるい)を
もよほしけり
【右頁下段】
手友梅(てのゆうばい)
暗(くら)きよりくらき道(みち)にも迷(まよ)はじな
心の月のくもりなければ
【左頁上段】
甫一検校(ほいちけんげう)は京都の座頭(ざとう)遠都(とほいち)と
いひて平家(へいけ)を語(かた)り和歌を嗜(たしみ)ける
者(もの)にて義昭(よしあき)公 御前(ごぜん)へも召(めさ)れし者(もの)也
然(しか)るに都(みやこ)■(せう)乱(らん)によつて将軍(せうぐん)も西国(さいこく)へ
下向(げこう)のよしゆゑ甫一も備中(びつちう)松山に下り
三浦 元親(もとちか)の憐(あわれみ)を受(うけ)て勾当(かうとう)になり
又 検校(けんげう)をさへ極(きは)め此 比(ころ)京にありしかが
松山の兵革(へうかく)をきゝて其恩(そのおん)を得(う)るもの
何ぞ義(ぎ)に一 命(めい)を捨(すて)ざらんやと松山に下り
元親(もとちか)と死(し)を共(とも)にせんことを願(ねが)ふ元親大に
感(かん)じ心ざしは至極(しごく)せり速落(とくおち)よと言(いひ)けれ
どもさらに用(もち)ひずいかにもして助(たすけ)ばやと
思ひ馬酔木丸(あせびのまる)といふへ遣(つかは)し置(おき)けるにこの
丸の者ども心 変(がわり)して敵(てき)を引入れ騒動(そうどう)に
及(およ)びければ甫一怒(いか)り腹(はら)だちいひがひなき
やつ原(ばら)なりと罵(のゝし)り今は是までなりと
辞世(じせい)に此歌を残(のこ)して自害(じがい)して果(はて)けり
義(ぎ)をしらぬもの共に対(たい)してはこれ等(ら)
も英雄(ゑいやう)といふべきものなり
【左頁下段】
甫一検校(ほいちけんぎやう)
松(まつ)山に消(きえ)なん
ものを
末(すゑ)の
露(つゆ)
落(おち)ても
水の
あはれうき身(み)は