東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 45

ページ: 45

翻刻

【右頁上段】 志水(しみづ)伯耆守 清久(きよひさ)は八郎 為朝(ためとも)の末(すゑ)にて 足利家(あしかがけ)の臣也都六 條(でう)の軍(いくさ)に宗(そう)上と いふ者を討(うつ)て其 首(くび)供養(くやう)の手向(たむけ)に 〽うらむなよ勝(かつ)も負(まく)るもあだし野(の)の   つひには消(き)える露(つゆ)の人の身 公方(くはう)義昭(よしあき)没落(ぼつらく)の後(のち)は細川 藤孝(ふじたか)卿 に仕へ軍忠(ぐんちう)ありしゆゑ忠興(たゞおき)侯(こう)手づから 鑓(やり)を給はりて賞(しやう)し給ふ然(しか)るに戦国(せんごく)の習(なら)ひ 軍功(ぐんこう)高(たか)きを忌(いみ)て君臣(くんしん)の中を隔(へだつ)る者あり 故(ゆへ)に虚名(きよめい)を受(うけ)て田辺(たなべ)を退(しりそ)く良党(らうどう)十 余(よ)人 共(とも)に流浪(るらう)して清久を助(たすけ)養(やしな)ふ其比 列侯(れつこう) より禄(ろく)を厚(あつ)ふして招(まね)くといへども再主(さいしう)の 望(のぞみ)なく息(そく)二人を加藤家(かとうけ)に奉仕(ほうじ)させその 身は都(みやこ)東山(ひがしやま)に寓居(ぐうきよ)して無実(むじつ)の解(とけ)ざ るを愁(うれ)ひ此歌を詠(えい)ず細川 侯(こう)疑(うたが)ひとけ て召(めし)かへし給ふ清久 無明(むめう)の闇(やみ)はれて再(さい) 勤(きん)して忠誠(ちうせい)厚(あつ)ければ大 禄(ろく)を給ひ豊前(ぶぜん) な 中津(なかつ)に城を守(まも)らしむ後(のち)入道(にうだう)して 宗加(そうか)と号(がう)し九十六歳にて卒(そつ)す 【右頁下段】 いかにせん  秋(あき)のたのみ もかれ  はてゝ 露  の   み ひとつ  おきぞ   煩(わづ)らふ  清水(しみず)伯耆守(はうきのかみ)清久(きよひさ) 【左頁上段】 白子(しらこ)杢左衛門は濃州(のうしう)の者(もの)にて 織田(おた)信孝(のぶたか)に仕(つかへ)しが天正七年の 比 羽柴(はしば)筑前守(ちくぜんのかみ)中国 攻(せめ)の折(おり)から 播州(ばんしう)三木の城(しろ)をかこみ赤松(あかまつ)の氏(し) 族(ぞく)別所(べつしよ)長治(ながはる)を退治(たいぢ)せんと対(たい) 陣(じん)におよび白子杢左衛門 寄手(よせて)に ありけるに彼(かれ)は風月(ふうげつ)の才(さい)ある者(もの)なれ ば秀吉(ひでよし)召出(めしいだ)し給ひて陣中(ぢんちう)の徒(つれ) 然(づれ)何か狂歌(きやうか)にても詠候へとありけ れば杢(もく)左衛門とりあへず 〽はりまなる三木 赤松(あかまつ)を切捨(きりすて)て  羽柴(はしば)ぞ山の大木となる 此 狂歌(きやうか)をよむはたして此 城(しろ) 落(おち)ければ秀吉(ひでよし)大きに喜感(きかん) ありて手づから酒(さけ)を給はりさま ざまのひきで物をとらせ其後(そのゝち) 度々(どど)召出(めしいだ)されておもひのほか なる富貴(ふうき)の身となりしといふ 【左頁下段】  白子(しらこ)杢左衛門(もくざゑもん) 武士(ものゝふ)の  山路(やまぢ) わけ  入(いる) 小手(こて)  の上の 露(つゆ)にもやどる  夜半(よは)の月影(つきかげ)