翻刻
【右頁上段】
志水(しみづ)伯耆守 清久(きよひさ)は八郎 為朝(ためとも)の末(すゑ)にて
足利家(あしかがけ)の臣也都六 條(でう)の軍(いくさ)に宗(そう)上と
いふ者を討(うつ)て其 首(くび)供養(くやう)の手向(たむけ)に
〽うらむなよ勝(かつ)も負(まく)るもあだし野(の)の
つひには消(き)える露(つゆ)の人の身
公方(くはう)義昭(よしあき)没落(ぼつらく)の後(のち)は細川 藤孝(ふじたか)卿
に仕へ軍忠(ぐんちう)ありしゆゑ忠興(たゞおき)侯(こう)手づから
鑓(やり)を給はりて賞(しやう)し給ふ然(しか)るに戦国(せんごく)の習(なら)ひ
軍功(ぐんこう)高(たか)きを忌(いみ)て君臣(くんしん)の中を隔(へだつ)る者あり
故(ゆへ)に虚名(きよめい)を受(うけ)て田辺(たなべ)を退(しりそ)く良党(らうどう)十 余(よ)人
共(とも)に流浪(るらう)して清久を助(たすけ)養(やしな)ふ其比 列侯(れつこう)
より禄(ろく)を厚(あつ)ふして招(まね)くといへども再主(さいしう)の
望(のぞみ)なく息(そく)二人を加藤家(かとうけ)に奉仕(ほうじ)させその
身は都(みやこ)東山(ひがしやま)に寓居(ぐうきよ)して無実(むじつ)の解(とけ)ざ
るを愁(うれ)ひ此歌を詠(えい)ず細川 侯(こう)疑(うたが)ひとけ
て召(めし)かへし給ふ清久 無明(むめう)の闇(やみ)はれて再(さい)
勤(きん)して忠誠(ちうせい)厚(あつ)ければ大 禄(ろく)を給ひ豊前(ぶぜん)
な
中津(なかつ)に城を守(まも)らしむ後(のち)入道(にうだう)して
宗加(そうか)と号(がう)し九十六歳にて卒(そつ)す
【右頁下段】
いかにせん
秋(あき)のたのみ
もかれ
はてゝ
露
の
み
ひとつ
おきぞ
煩(わづ)らふ
清水(しみず)伯耆守(はうきのかみ)清久(きよひさ)
【左頁上段】
白子(しらこ)杢左衛門は濃州(のうしう)の者(もの)にて
織田(おた)信孝(のぶたか)に仕(つかへ)しが天正七年の
比 羽柴(はしば)筑前守(ちくぜんのかみ)中国 攻(せめ)の折(おり)から
播州(ばんしう)三木の城(しろ)をかこみ赤松(あかまつ)の氏(し)
族(ぞく)別所(べつしよ)長治(ながはる)を退治(たいぢ)せんと対(たい)
陣(じん)におよび白子杢左衛門 寄手(よせて)に
ありけるに彼(かれ)は風月(ふうげつ)の才(さい)ある者(もの)なれ
ば秀吉(ひでよし)召出(めしいだ)し給ひて陣中(ぢんちう)の徒(つれ)
然(づれ)何か狂歌(きやうか)にても詠候へとありけ
れば杢(もく)左衛門とりあへず
〽はりまなる三木 赤松(あかまつ)を切捨(きりすて)て
羽柴(はしば)ぞ山の大木となる
此 狂歌(きやうか)をよむはたして此 城(しろ)
落(おち)ければ秀吉(ひでよし)大きに喜感(きかん)
ありて手づから酒(さけ)を給はりさま
ざまのひきで物をとらせ其後(そのゝち)
度々(どど)召出(めしいだ)されておもひのほか
なる富貴(ふうき)の身となりしといふ
【左頁下段】
白子(しらこ)杢左衛門(もくざゑもん)
武士(ものゝふ)の
山路(やまぢ)
わけ
入(いる)
小手(こて)
の上の
露(つゆ)にもやどる
夜半(よは)の月影(つきかげ)