翻刻
【右頁上段】
別所(べつしよ)長治(ながはる)は播州(ばんしう)三木の城主(ぜうしゆ)にて智勇(ちゆう)
ある将(せう)也天正五年より三ヶ年の籠城(ろうじやう)に
防戦(ぼうせん)油断(ゆだん)なく毛利家へ後詰(ごづめ)を乞(こ)ふと
いへども自国(じこく)の軍務(ぐんむ)に隙(いとま)なき故 延引(えんいん)せり
されども中国より兵粮(へうらう)運送(うんそう)して魚住(うをすみ)
といふ海辺(うみべ)より取(とり)入ければ城中 屈(くつ)する色(いろ)
なし秀吉(ひでよし)これをしり給ひてこの城 力責(ちからせめ)
にて落(おつ)べきやうなし糧攻(かてせめ)にせよと魚住(うをすみ)
と三木の間に向城(むかひしろ)を築(きづ)き道(みち)を断(たち)
切(きり)ければ城中 難義(なんぎ)に及び必死(ひつし)の戦(たゝか)ひす
れども味方(みかた)に討死(うちしに)する者 多(おほ)し天正七
年十二月に至(いた)り糧(かて)尽(つき)て牛馬(ぎうば)を喰(くら)ふ
までになりければ長治 伯父(をじ)山城守 弟(おとゝ)
彦之進(ひこのしん)と談(だん)じわれら三人 切腹(せつふく)して士(し)
卒(そつ)を助(たすけ)ばやと此よし秀吉へ云(ゐひ)入ければと
定(さだま)りて同八年正月十七日此歌を残(のこし)て
切腹(せつふく)に及ぶ長治の妻(つま)も筆(ふで)を染(そめ)
〽もろともに消(きえ)はつるこそうれしけれ
おくれさきだつならひなる世に
【右頁下段】
思へば
我身(わがみ)と
かはる
命(いのち)に
の
諸人(もろひと)
じ
あら
恨(うらみ)も
今はだゞ
別所(べつしよ)小三郎 長治(ながはる)
【左頁上段】
彦之進(ひこのしん)友之は其日 朝(あさ)より士卒(しそつ)を集(あつ)め
酒肴(さけさかな)を与へ三年の籠城(ろうじやう)の功労(こうろう)を謝(しや)し
忠節(ちうせつ)を賞美(しやうび)しいとまをつげ其身も一
献(こん)汲(くみ)て思ふまゝ舞(まひ)たはぶれて本城(ほんぜう)客(きやく)
殿(でん)に敷皮(しきがは)布(しゐ)せ兄(あに)長治(ながはる)と盃(さかづき)取(とり)かはし
此歌を書(かき)のこし腹切(はらきつ)て死(し)す長治の
妻(つま)もかひ〴〵しき女なれば夫(をつと)に遅(おく)れ
じと
三才の児(ちこ)を刺殺(さしころ)して同(おな)じ枕(まくら)に自(じ)
害(がい)す廿一才 浦上宗景(うらかみむねかげ)の女(むすめ)なり彦(ひこ)
之進 友之(ともゆき)の妻(つま)は山名 豊恒(とよつね)のむすめ
なりしが懐胎(くわいたい)にて産月(うみつき)も近(ちか)く産落(うみおと)
して顔(かほ)見んと思ふにかひなくけふとなりて
長治(ながはる)の子の目前(もくぜん)刺殺(さしころ)さるゝ見ては
吾身(わがみ)の産(うま)ざるも一ッの悲(かなしみ)は遁(のが)れたりと
いひながら暗(くらき)よりくらきに迷(まよ)ふ罪(つみ)を
かなしみ泣々(なく〳〵)夫(をつと)におくれじと
〽たのめこし後(のち)の世まてにつばさをも
ならぶる鳥(とり)の契(ちぎ)り嬉(うれ)しき
此歌をのこし十九才にて自害(じがい)して果(はて)けり
【左頁下段】
別所(べつしよ)彦之進(ひこのしん)友之(ともゆき)
命(いのち)をも惜(をし)ま
ざりけり
梓弓(あづさゆみ)
末(すゑ)
の
世(よ)
までの
名(な)を
おもふ
とて