翻刻
【右頁上段】
三宅(みやけ)肥後守 治忠(はるたゞ)は別所(べつしよ)長治の老(ろう)
臣(しん)にて忠勇(ちうゆう)の人なり切腹(せつふく)の定日時(ぢやうじつじ)
刻近(こくちか)づきしに長治の伯父(をぢ)山城守い
まだ見えざれば三宅(みやけ)心ならず思ひ使(つかひ)を
走(はせ)てかねて定(さだめ)候 切腹(せつふく)の時刻只今(じこくたゞいま)に
迫(せまり)て候 詎(など)おくれさせ給ふいそぎ御 入来(じゆらい)
最期(さいご)の式(しき)をも先立(さきたち)て御 覧(らん)に入れ候
はんと申 送(おく)りけるに山城守これを聞(きゝ)て
万卒(ばんそつ)の将(せう)のため命(いのち)を抛(なげうつ)は日比(ひごろ)の恩(おん)
の報(むく)ひなれば誰(たれ)か恨(うらみ)ん迚(とて)も叶(かな)はぬ時
なればおめ〳〵敵(てき)に渡(わた)さんより城(しろ)に火(ひ)
をかけ焼捨(やきすて)て死(しな)んと其用意(そのようい)なり
ければ斯(かく)させては大将長治の盟約(めいやく)
偽(いつは)りとなるのみか万卒(ばんそつ)も命(いのち)を落(おと)すべ
しと策(はかり)て山城守を討取(うちとり)長治にこの
事(こと)を告(つげ)ければ能(よく)こそせしと悦(よろこ)びて果(はて)
ければ三宅(みやけ)入道 介錯(かいしやく)してのち腹(はら)十
文字(もんじ)にかき切殉死(きりじゆんし)して果(はて)る此歌は
其時(そのとき)の辞世(じせい)なり
【右頁下段】
君(きみ)なくばうき
身(み)の命(いのち)
何(なに)か
せ
ん
のこりて
かひのある
世(よ)なり
とも
三宅肥後入道治忠(みやけひごのにうとうはるたゞ)
【左頁上段】
武田(たけだ)勝頼は信玄(しんげん)の四 男(なん)にて諏訪(すは)
頼茂(よりしげ)の跡目(あとめ)なるがゆゑ武田相伝(たけたさうでん)の
信(のぶ)の字(じ)は名(な)のり給はずされど信玄 陣(ぢん)
代(だい)の比(ころ)より諏訪法性(すはほつせう)の兜(かぶと)は譲(ゆづ)られ
しといふ勝頼(かつより)勇(ゆう)に任(まか)せ臣(しん)の諌(いさめ)を
用(もち)ひず智臣(ちしん)は退(しりぞ)き佞人(ねいじん)どもの進(すゝ)む
ゆゑ変心(へんしん)の者多(ものおほ)し天正十 年(ねん)三月 軍(いくさ)
破(やぶ)れて天目山(てんもくざん)に落(おち)ける時 土屋宗蔵(つちやそうぞう)馳(はせ)
来(きたつ)て君(きみ)は新羅殿(しんらどの)より廿八代 弓矢(ゆみや)の
家(いへ)を継(つが)せ給ひて今際(いまは)に及(およ)びて一揆(いつき)ば
らに首(うび)を渡(わた)し給ふは口惜(くちをし)と諌(いさめ)ければ
尤(もつとも)なりと土屋に介錯(かいしやく)させて果(はて)給ふ
此 比(ころ)秀吉(ひでよし)中国にありて勝頼 討死(うちしに)
して甲州平均(かうしうへいきん)と聞(きゝ)大 息(いき)ついてあた
ら人を殺(ころ)したること残(のこ)りおほきことなり
我甲斐(われかひ)の軍中(ぐんちう)にあらば強(つよ)くいさめ
て勝頼を助(たす)け甲斐信濃(かひしなの)をあたへ
て味方(みかた)とせば東北(とうぼく)の国々に心 置(おき)なかりし
にと落涙(らくるい)してをしまれしといふ
【左頁下段】
にぞ見る
緑(みどり)
水(みづ)の
中(なか)の
野(の)
さを
梢(こずえ)の涼(すゞ)し
夏山(なつやま)の遠(とほ)き
武田勝頼(たけだかつより)