東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 47

ページ: 47

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【右頁上段】 三宅(みやけ)肥後守 治忠(はるたゞ)は別所(べつしよ)長治の老(ろう) 臣(しん)にて忠勇(ちうゆう)の人なり切腹(せつふく)の定日時(ぢやうじつじ) 刻近(こくちか)づきしに長治の伯父(をぢ)山城守い まだ見えざれば三宅(みやけ)心ならず思ひ使(つかひ)を 走(はせ)てかねて定(さだめ)候 切腹(せつふく)の時刻只今(じこくたゞいま)に 迫(せまり)て候 詎(など)おくれさせ給ふいそぎ御 入来(じゆらい) 最期(さいご)の式(しき)をも先立(さきたち)て御 覧(らん)に入れ候 はんと申 送(おく)りけるに山城守これを聞(きゝ)て 万卒(ばんそつ)の将(せう)のため命(いのち)を抛(なげうつ)は日比(ひごろ)の恩(おん) の報(むく)ひなれば誰(たれ)か恨(うらみ)ん迚(とて)も叶(かな)はぬ時 なればおめ〳〵敵(てき)に渡(わた)さんより城(しろ)に火(ひ) をかけ焼捨(やきすて)て死(しな)んと其用意(そのようい)なり ければ斯(かく)させては大将長治の盟約(めいやく) 偽(いつは)りとなるのみか万卒(ばんそつ)も命(いのち)を落(おと)すべ しと策(はかり)て山城守を討取(うちとり)長治にこの 事(こと)を告(つげ)ければ能(よく)こそせしと悦(よろこ)びて果(はて) ければ三宅(みやけ)入道 介錯(かいしやく)してのち腹(はら)十 文字(もんじ)にかき切殉死(きりじゆんし)して果(はて)る此歌は 其時(そのとき)の辞世(じせい)なり 【右頁下段】 君(きみ)なくばうき  身(み)の命(いのち) 何(なに)か せ ん のこりて かひのある  世(よ)なり    とも  三宅肥後入道治忠(みやけひごのにうとうはるたゞ) 【左頁上段】 武田(たけだ)勝頼は信玄(しんげん)の四 男(なん)にて諏訪(すは) 頼茂(よりしげ)の跡目(あとめ)なるがゆゑ武田相伝(たけたさうでん)の 信(のぶ)の字(じ)は名(な)のり給はずされど信玄 陣(ぢん) 代(だい)の比(ころ)より諏訪法性(すはほつせう)の兜(かぶと)は譲(ゆづ)られ しといふ勝頼(かつより)勇(ゆう)に任(まか)せ臣(しん)の諌(いさめ)を 用(もち)ひず智臣(ちしん)は退(しりぞ)き佞人(ねいじん)どもの進(すゝ)む ゆゑ変心(へんしん)の者多(ものおほ)し天正十 年(ねん)三月 軍(いくさ) 破(やぶ)れて天目山(てんもくざん)に落(おち)ける時 土屋宗蔵(つちやそうぞう)馳(はせ) 来(きたつ)て君(きみ)は新羅殿(しんらどの)より廿八代 弓矢(ゆみや)の 家(いへ)を継(つが)せ給ひて今際(いまは)に及(およ)びて一揆(いつき)ば らに首(うび)を渡(わた)し給ふは口惜(くちをし)と諌(いさめ)ければ 尤(もつとも)なりと土屋に介錯(かいしやく)させて果(はて)給ふ 此 比(ころ)秀吉(ひでよし)中国にありて勝頼 討死(うちしに) して甲州平均(かうしうへいきん)と聞(きゝ)大 息(いき)ついてあた ら人を殺(ころ)したること残(のこ)りおほきことなり 我甲斐(われかひ)の軍中(ぐんちう)にあらば強(つよ)くいさめ て勝頼を助(たす)け甲斐信濃(かひしなの)をあたへ て味方(みかた)とせば東北(とうぼく)の国々に心 置(おき)なかりし にと落涙(らくるい)してをしまれしといふ 【左頁下段】  にぞ見る 緑(みどり) 水(みづ)の  中(なか)の 野(の)   さを  梢(こずえ)の涼(すゞ)し 夏山(なつやま)の遠(とほ)き   武田勝頼(たけだかつより)