東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 49

ページ: 49

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【右頁上段】 吉川式部少輔経家(きつかはしきぶせうゆうつねいへ)は毛利家(もうりけ)の 将(せう)にて因州(いんしう)丸山の城(しろ)に籠(こも)り数(す)百日の 防戦(ばうせん)に勇(ゆう)を顕(あらは)しけれども中国の後(ご) 詰(づめ)延引(ゑんいん)し兵粮難義(へうらうなんき)におよぶ羽(は) 柴勢(しばせい)これを察(さつ)し使者(ししや)を遣(つかは)して開(かい) 城(ぜう)を進(すゝ)む経家(つねいへ)切腹致(せつふくいた)すべき侭諸(まゝしよ) 士(し)を本国へ帰(かへ)させ給へと言送(いひおく)るに 秀吉答(ひでよしこたへ)に切腹(せつふく)に及(およ)ばず経家(つねいへ)をも 助けんよしを申 送(おく)るといへども経家 死(し) を望(のぞみ)て盟約(めいやく)の書(しよ)を乞(こ)ひ検使(けんし)を 申 請(うけ)切腹(せつふく)の式法厳重(しきほふげんぢう)にかまへ 家臣静間源(かしんしづまげん)兵衛に向(むか)ひ信長(のぶなが)の 実検(じつけん)に入る首(くび)なりよく心を付 介錯(かいしやく) 致(いた)すべきよし言(いひ)ふくめ此 辞世(じせい)を書(かき)のこし 腹(はら)かきさばき首(くび)さしのべて打(うて)と言(いひ)けるに 静間主君(しづましゆくん)に刃向(はむか)ふ悲(かな)しさに討(うち)かねゐ けるを経家弱(つねいへよわ)るけしきなくばか者 切(きら) ざるかと笑(わら)ひて討(うた)れけるその勇威(ゆうゐ)を 感(かん)じ実検(じつけん)の後 厚(あつく)葬(ほうむ)りしといふ 【右頁下段】   吉川経家(きつかはつねいへ) 武士(ものゝふ)の と  り 伝(つたへ)   たる   梓弓(あづさゆみ)  かへるや    もとの   栖(すみか)なるらむ 【左頁上段】 清水宗治は毛利家(もうりけ)の勇将(ゆうせう)にして備(びつ) 中 高(たか)松の城主也 秀吉数度(ひでよしすど)これを攻(せめ) るといへども勇威(ゆうい)盛(さかん)にして力戦(りきせん)には落難(おちがたき) を悟(さと)り地利(ちり)を見るに高松は小高(こだかき)のみの 平城なれば水 攻(せめ)にしかずと城の西(にし)より 南(みなみ)へまはし一里の間廣(あひだひろ)さ三十 間(けん)の堤(つゝみ)を築(きづか)せ 盤石(ばんじやく)をたゝみ上 兄上(けうべ)川の流(なが)れを堰(せき)入 折(をり) ふし五月雨(さみだれ)ふりければ渓(たに)水流れいりて 洪水(こうずい)をなし城中水にひたして忙然(ぼうぜん)たる時 秀吉和義(ひでよしわぎ)の使(つか)ひを遣(つかは)し城将 宗治(むねはる) 切腹(せつふく)せば和睦(わぼく)して陣(ぢん)を引べき旨言 送(おく) れと元春 隆景(たかかげ)和平致すとも忠臣(ちうしん)を 切 腹(ふく)させんこと本位(ほんい)にあらずと領掌(りやうじやう) なければ使(つか)ひの僧安国寺(そうあんこくじ)此よしを清 水に告(つげ)けるに涙(なみだ)を流(なが)し義 将(せう)の両川 臣(しん)を憐(あはれみ)給ふこと忝(かたじけなし)切腹せば士卒助(しそつたすか)り 和(わ)義 調(とゝの)ひ国(こく)家治平の基(もとひ)なりと悦(よろこ)び 検使(けんし)を乞(こ)ひ此 辞世(じせい)を残(のこ)し兄月(あにげつ)清と ともに切腹して義名を世々(よゝ)に伝(つたへ)けり 【左頁下段】  清水長(しみづてう)左衛門 宗治(むねはる) 浮世(うきよ)をば今こそ  渡(わた)れ武士(ものゝふ)   の 名(な) を 高松(たかまつ)  の 苔(こけ)に   のこして