翻刻
【右頁上段】
吉川式部少輔経家(きつかはしきぶせうゆうつねいへ)は毛利家(もうりけ)の
将(せう)にて因州(いんしう)丸山の城(しろ)に籠(こも)り数(す)百日の
防戦(ばうせん)に勇(ゆう)を顕(あらは)しけれども中国の後(ご)
詰(づめ)延引(ゑんいん)し兵粮難義(へうらうなんき)におよぶ羽(は)
柴勢(しばせい)これを察(さつ)し使者(ししや)を遣(つかは)して開(かい)
城(ぜう)を進(すゝ)む経家(つねいへ)切腹致(せつふくいた)すべき侭諸(まゝしよ)
士(し)を本国へ帰(かへ)させ給へと言送(いひおく)るに
秀吉答(ひでよしこたへ)に切腹(せつふく)に及(およ)ばず経家(つねいへ)をも
助けんよしを申 送(おく)るといへども経家 死(し)
を望(のぞみ)て盟約(めいやく)の書(しよ)を乞(こ)ひ検使(けんし)を
申 請(うけ)切腹(せつふく)の式法厳重(しきほふげんぢう)にかまへ
家臣静間源(かしんしづまげん)兵衛に向(むか)ひ信長(のぶなが)の
実検(じつけん)に入る首(くび)なりよく心を付 介錯(かいしやく)
致(いた)すべきよし言(いひ)ふくめ此 辞世(じせい)を書(かき)のこし
腹(はら)かきさばき首(くび)さしのべて打(うて)と言(いひ)けるに
静間主君(しづましゆくん)に刃向(はむか)ふ悲(かな)しさに討(うち)かねゐ
けるを経家弱(つねいへよわ)るけしきなくばか者 切(きら)
ざるかと笑(わら)ひて討(うた)れけるその勇威(ゆうゐ)を
感(かん)じ実検(じつけん)の後 厚(あつく)葬(ほうむ)りしといふ
【右頁下段】
吉川経家(きつかはつねいへ)
武士(ものゝふ)の
と
り
伝(つたへ)
たる
梓弓(あづさゆみ)
かへるや
もとの
栖(すみか)なるらむ
【左頁上段】
清水宗治は毛利家(もうりけ)の勇将(ゆうせう)にして備(びつ)
中 高(たか)松の城主也 秀吉数度(ひでよしすど)これを攻(せめ)
るといへども勇威(ゆうい)盛(さかん)にして力戦(りきせん)には落難(おちがたき)
を悟(さと)り地利(ちり)を見るに高松は小高(こだかき)のみの
平城なれば水 攻(せめ)にしかずと城の西(にし)より
南(みなみ)へまはし一里の間廣(あひだひろ)さ三十 間(けん)の堤(つゝみ)を築(きづか)せ
盤石(ばんじやく)をたゝみ上 兄上(けうべ)川の流(なが)れを堰(せき)入 折(をり)
ふし五月雨(さみだれ)ふりければ渓(たに)水流れいりて
洪水(こうずい)をなし城中水にひたして忙然(ぼうぜん)たる時
秀吉和義(ひでよしわぎ)の使(つか)ひを遣(つかは)し城将 宗治(むねはる)
切腹(せつふく)せば和睦(わぼく)して陣(ぢん)を引べき旨言 送(おく)
れと元春 隆景(たかかげ)和平致すとも忠臣(ちうしん)を
切 腹(ふく)させんこと本位(ほんい)にあらずと領掌(りやうじやう)
なければ使(つか)ひの僧安国寺(そうあんこくじ)此よしを清
水に告(つげ)けるに涙(なみだ)を流(なが)し義 将(せう)の両川
臣(しん)を憐(あはれみ)給ふこと忝(かたじけなし)切腹せば士卒助(しそつたすか)り
和(わ)義 調(とゝの)ひ国(こく)家治平の基(もとひ)なりと悦(よろこ)び
検使(けんし)を乞(こ)ひ此 辞世(じせい)を残(のこ)し兄月(あにげつ)清と
ともに切腹して義名を世々(よゝ)に伝(つたへ)けり
【左頁下段】
清水長(しみづてう)左衛門 宗治(むねはる)
浮世(うきよ)をば今こそ
渡(わた)れ武士(ものゝふ)
の
名(な)
を
高松(たかまつ)
の
苔(こけ)に
のこして