東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 50

ページ: 50

翻刻

【右上】 川上左京は薩州嶋津(さつしうしまづ)家の臣(しん)なり 秋(あき)月孫左衛門/種実(たねさね)筑紫広門(つくしひろかと)に 遺恨(いこん)あるによつて嶋津勢をたのみて 天正十四年七月六日/筑前御笠郡(ちくぜんみかさこほり) 勝(かつ)の尾(を)の城へおしよせ攻戦(せめたゝ)ふ又嶋津 勢広門の舎弟(しやてい)美濃守晴門(みのゝかみはるかと)の 籠(こもり)たる一久/瀬(せ)の城へ取掛り一/時(とき)責(せめ)に 操立(もみたて)ける城将晴門こゝを専度(せんど)と 防(ふせ)ぎけれども大勢入レかへ攻付(せめつけ)ければ 既(すで)に落(らく)城に及ばんとす美濃守 晴門/防戦(ぼうせん)の術(じゆつ)尽(つき)て今はこれまで と思ひきり軍(ぐん)神へいとま乞(こ)ひの一 戦(せん)して花をちらし閻魔王(ゑんまわう)への娑(しや) 婆(ば)土産(みやげ)にせんと荒(あら)き馬にうち のり大太刀/振(ふつ)て切て出またゝく間(ま) に数(す)十人切/伏(ふせ)猛威(まうゐ)をふるつて 働(はたら)く折(をり)から薩摩(さつま)勢の中より 川上左京わたり合/数度(すど)切(きり)むす び火花を散(ち)らすに勝負(せうぶ)はさらに 【左上】 附(つか)ざりける然(しか)る所に川上左京/戦(たゝか)ひ なかばに笑(ゑみ)をふくみ 〽打むすぶの哥 をよみかけければ筑紫(つくし)晴門これ を聞て面白(おもしろ)しといふ詞(ことば)の下より 〽き らばきれの歌(うた)を返(かへ)しとして互(たが)ひに 火になり水となつてしばしがあいだ 戦ひけるに左京が打太刀/晴門(はるかど)の高(たか) 股(もゝ)へ切込(きりこみ)ければ晴門も左京が足(あし) を薙倒(なぎたを)せば双方(さうはう)ともに尻居(しりゐ)に どうとたをれにけれど互(たが)ひに聞(きこ) ゆる勇猛(ゆうまう)なれば深手(ふかで)もいとはず 組付(くみつい)て両人/等(ひとし)く声(こゑ)をかけ あひさし違(ちが)へてぞ死(し)したりける かゝる烈(はげ)しき場(ば)にいたり生死(せうし) の街(ちまた)にありながら敷嶋(しきしま)の道(みち) に心をこめて骸(なきがら)は戦場(せんぢやう)の土と なるとも其(その)名は末世(まつせ)に残(のこ)し つゝ敵味(てきみ)方の感涙(かんるい)の種(たね)とは なりにけり 【右下】  川上左京(かはかみさきやう) うちむすぶ 太刀(たち)の 下こそ 産家(うぶや)なれ 唯(たゞ)切(きり)かゝれ 先(さき)は極楽(ごくらく) 【左下】  筑紫晴門(つくしはるかど) きらば切(き)れ 刃(やいば)に かゝる 物(もの)も なし 本来(ほんらい)心(しん)に かたちなければ