翻刻
【右上】
川上左京は薩州嶋津(さつしうしまづ)家の臣(しん)なり
秋(あき)月孫左衛門/種実(たねさね)筑紫広門(つくしひろかと)に
遺恨(いこん)あるによつて嶋津勢をたのみて
天正十四年七月六日/筑前御笠郡(ちくぜんみかさこほり)
勝(かつ)の尾(を)の城へおしよせ攻戦(せめたゝ)ふ又嶋津
勢広門の舎弟(しやてい)美濃守晴門(みのゝかみはるかと)の
籠(こもり)たる一久/瀬(せ)の城へ取掛り一/時(とき)責(せめ)に
操立(もみたて)ける城将晴門こゝを専度(せんど)と
防(ふせ)ぎけれども大勢入レかへ攻付(せめつけ)ければ
既(すで)に落(らく)城に及ばんとす美濃守
晴門/防戦(ぼうせん)の術(じゆつ)尽(つき)て今はこれまで
と思ひきり軍(ぐん)神へいとま乞(こ)ひの一
戦(せん)して花をちらし閻魔王(ゑんまわう)への娑(しや)
婆(ば)土産(みやげ)にせんと荒(あら)き馬にうち
のり大太刀/振(ふつ)て切て出またゝく間(ま)
に数(す)十人切/伏(ふせ)猛威(まうゐ)をふるつて
働(はたら)く折(をり)から薩摩(さつま)勢の中より
川上左京わたり合/数度(すど)切(きり)むす
び火花を散(ち)らすに勝負(せうぶ)はさらに
【左上】
附(つか)ざりける然(しか)る所に川上左京/戦(たゝか)ひ
なかばに笑(ゑみ)をふくみ 〽打むすぶの哥
をよみかけければ筑紫(つくし)晴門これ
を聞て面白(おもしろ)しといふ詞(ことば)の下より 〽き
らばきれの歌(うた)を返(かへ)しとして互(たが)ひに
火になり水となつてしばしがあいだ
戦ひけるに左京が打太刀/晴門(はるかど)の高(たか)
股(もゝ)へ切込(きりこみ)ければ晴門も左京が足(あし)
を薙倒(なぎたを)せば双方(さうはう)ともに尻居(しりゐ)に
どうとたをれにけれど互(たが)ひに聞(きこ)
ゆる勇猛(ゆうまう)なれば深手(ふかで)もいとはず
組付(くみつい)て両人/等(ひとし)く声(こゑ)をかけ
あひさし違(ちが)へてぞ死(し)したりける
かゝる烈(はげ)しき場(ば)にいたり生死(せうし)
の街(ちまた)にありながら敷嶋(しきしま)の道(みち)
に心をこめて骸(なきがら)は戦場(せんぢやう)の土と
なるとも其(その)名は末世(まつせ)に残(のこ)し
つゝ敵味(てきみ)方の感涙(かんるい)の種(たね)とは
なりにけり
【右下】
川上左京(かはかみさきやう)
うちむすぶ
太刀(たち)の
下こそ
産家(うぶや)なれ
唯(たゞ)切(きり)かゝれ
先(さき)は極楽(ごくらく)
【左下】
筑紫晴門(つくしはるかど)
きらば切(き)れ
刃(やいば)に
かゝる
物(もの)も
なし
本来(ほんらい)心(しん)に
かたちなければ