東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 53

ページ: 53

翻刻

【右上】 信孝(のぶたか)は織田信長(おたのぶなが)公の三男なり永禄(えいろく) 十一年信長公/伊勢(いせ)の神戸(かんべ)をせめてその 一/族(ぞく)下総守(しもうさのかみ)と和平(わへい)し信孝(のぶたか)十一/歳(さい)也 しを彼家(かのいへ)の養子(やうし)となし伊勢(いせ)を領(りやう)し 後(のち)美濃(みの)に移(うつ)る然(しか)るに天正十年 六月/本能寺(ほんのうじ)の事(こと)ありてのち信(のぶ) 孝(たか)英雄(えいゆう)の挙(きよ)にして明智退治(あけちたいぢ) の功(こう)すくなからずといへども秀吉三/法(ほう) 師丸(しまる)を立て信孝の功(こう)を賞(しやう)せず此 ゆゑに信孝/快(こゝろよ)からずありし所/柴田勝(しばたかつ) 家(いへ)北国に兵(へい)を起(おこ)す信孝是に合(がつ) 体(たい)して軍議(ぐんぎ)つたなからずといへども柳(やなが)ヶ 瀬(せ)賤(しづが)ヶ嶽(たけ)の敗軍(はいぐん)より柴田(しばた)佐久(さく) 間(ま)もほろび世にあるかひもなき身とかこち  〽身はかくて入ぬる磯(いそ)の草(くさ)なれや   ありとも人に見えずはてなん 運(うん)つたなく尾州野間(びしうのま)の内海(うつみ) にて自害(じがい)ありし生年(せうねん)二十六/歳(さい) なりけるとなん 【右下】  神戸信孝(かんべのぶたか) たらちねの 名(な)をば くださじ 梓弓(あづさゆみ) いなばの 山の露(つゆ)ときゆとも 【左上】 筒井陽舜順慶(つゝゐやうしゆんじゆんけい)は筒井/浄妙(じやうめう)の 末(すゑ)筒井大夫/順武(じゆんぶ)より応永以来(おうえいいらい) 武事(ぶじ)をもつて大身(たいしん)となり和州筒井(わしうつゝゐ) の城主(しやうしゆ)にて七十五万石を領(りやう)せり天 正四年/松永弾正(まつながだんぜう)織田家(おたけ)を反(そむい)て 信貴(しぎ)の城に籠(こも)る織田/勢(せい)数(す)万に て攻(せめ)けれども要害(ようがい)の城(しろ)なればたやす く落(おつ)べきやうなし此時順慶/策(はかりごと)を めぐらし軍士(ぐんし)二百人/大坂本願寺(おほさかほんぐわんじ)より 加勢(かせい)なりと披露(ひろう)し信貴(しき)の城に入ら せ惣攻(そうせめ)の折(をり)から城に火を掛(かけ)させ落(らく) 城(しやう)に及(およ)ぶ信長(のふなが)此/功(こう)を賞(しやう)し大和(やまと)一ヶ 国(こく)を給はる又/明智光秀(あけちみつひで)本能寺(ほんのうじ)合(かつ) 戦(せん)の後(のち)大和/紀伊(きい)和泉(いづみ)三ヶ国を送(おく)ら んと味方(みかた)に招(まね)ぎけれども是に応(おう)せず 八幡(やはた)山に備(そな)へて山/崎(ざき)合戦の砌(みぎり)淀(よど)川 辺(へん)にて明智(あけち)が兵(へい)五百ばかり打とり功(こう) を顕(あらは)しければ元(もと)のごとく大和一ヶ国(こく)領(りやう) し天正十二年八月/病死(びやうし)す 【左下】  筒井順慶(つゝゐしゆんけい) 筒井筒(つゝゐづゝ) つゝゐの 底(そこ)の 清水(しみづ)かげ 結(むす)ぶ手(て) 多(おほ)き けふの明雲(あけくも)