翻刻
【右上】
信孝(のぶたか)は織田信長(おたのぶなが)公の三男なり永禄(えいろく)
十一年信長公/伊勢(いせ)の神戸(かんべ)をせめてその
一/族(ぞく)下総守(しもうさのかみ)と和平(わへい)し信孝(のぶたか)十一/歳(さい)也
しを彼家(かのいへ)の養子(やうし)となし伊勢(いせ)を領(りやう)し
後(のち)美濃(みの)に移(うつ)る然(しか)るに天正十年
六月/本能寺(ほんのうじ)の事(こと)ありてのち信(のぶ)
孝(たか)英雄(えいゆう)の挙(きよ)にして明智退治(あけちたいぢ)
の功(こう)すくなからずといへども秀吉三/法(ほう)
師丸(しまる)を立て信孝の功(こう)を賞(しやう)せず此
ゆゑに信孝/快(こゝろよ)からずありし所/柴田勝(しばたかつ)
家(いへ)北国に兵(へい)を起(おこ)す信孝是に合(がつ)
体(たい)して軍議(ぐんぎ)つたなからずといへども柳(やなが)ヶ
瀬(せ)賤(しづが)ヶ嶽(たけ)の敗軍(はいぐん)より柴田(しばた)佐久(さく)
間(ま)もほろび世にあるかひもなき身とかこち
〽身はかくて入ぬる磯(いそ)の草(くさ)なれや
ありとも人に見えずはてなん
運(うん)つたなく尾州野間(びしうのま)の内海(うつみ)
にて自害(じがい)ありし生年(せうねん)二十六/歳(さい)
なりけるとなん
【右下】
神戸信孝(かんべのぶたか)
たらちねの
名(な)をば
くださじ
梓弓(あづさゆみ)
いなばの
山の露(つゆ)ときゆとも
【左上】
筒井陽舜順慶(つゝゐやうしゆんじゆんけい)は筒井/浄妙(じやうめう)の
末(すゑ)筒井大夫/順武(じゆんぶ)より応永以来(おうえいいらい)
武事(ぶじ)をもつて大身(たいしん)となり和州筒井(わしうつゝゐ)
の城主(しやうしゆ)にて七十五万石を領(りやう)せり天
正四年/松永弾正(まつながだんぜう)織田家(おたけ)を反(そむい)て
信貴(しぎ)の城に籠(こも)る織田/勢(せい)数(す)万に
て攻(せめ)けれども要害(ようがい)の城(しろ)なればたやす
く落(おつ)べきやうなし此時順慶/策(はかりごと)を
めぐらし軍士(ぐんし)二百人/大坂本願寺(おほさかほんぐわんじ)より
加勢(かせい)なりと披露(ひろう)し信貴(しき)の城に入ら
せ惣攻(そうせめ)の折(をり)から城に火を掛(かけ)させ落(らく)
城(しやう)に及(およ)ぶ信長(のふなが)此/功(こう)を賞(しやう)し大和(やまと)一ヶ
国(こく)を給はる又/明智光秀(あけちみつひで)本能寺(ほんのうじ)合(かつ)
戦(せん)の後(のち)大和/紀伊(きい)和泉(いづみ)三ヶ国を送(おく)ら
んと味方(みかた)に招(まね)ぎけれども是に応(おう)せず
八幡(やはた)山に備(そな)へて山/崎(ざき)合戦の砌(みぎり)淀(よど)川
辺(へん)にて明智(あけち)が兵(へい)五百ばかり打とり功(こう)
を顕(あらは)しければ元(もと)のごとく大和一ヶ国(こく)領(りやう)
し天正十二年八月/病死(びやうし)す
【左下】
筒井順慶(つゝゐしゆんけい)
筒井筒(つゝゐづゝ)
つゝゐの
底(そこ)の
清水(しみづ)かげ
結(むす)ぶ手(て)
多(おほ)き
けふの明雲(あけくも)