東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: コレクション 1

續英雄百人一首 - 翻刻

續英雄百人一首 - ページ 54

ページ: 54

翻刻

【右上】 山名豊国(やまなとよくに)は因幡(いなば)の出/久松(ひさまつ)の城主(じやうしゆ)に て毛利家(まうりけ)に属(ぞく)してありしかど羽柴(はしば) 秀吉(ひでよし)中国/攻(せめ)の時/同意(どうい)せしかば家人(けにん) どもは毛利家を放(はな)れしをうとみて 離散(りさん)せしゆゑ其身も頓(やが)て世を遁(のが) れ山家(さんか)に住(じう)し法躰(ほつたい)して禅高(ぜんかう)と号(がう) すある夜中(やちう)盗(ぬす)人大勢/乱入(らんにう)して禅(ぜん) 高(かう)を討(うた)んとせしを鑓(やり)おつ取(とつ)て 老法師(ろうほうし)が手並(てなみ)を見せんと大 勢にわたり合いどみ戦(たゝか)ひし所 禅高が妻(つま)心/利(きゝ)たる者(もの)ゆゑ物蔭(ものかげ) に身をひそめ衣服(いふく)を多持(おほくもち)出し賊(ぞく) の剣戟(けんげき)に投(なげ)かけて纏(まと)ふこと度々(たび〳〵)なれ ば賊(ぞく)どもはたらき自由(じゆう)ならずたゞよふ 所を禅高/踏込(ふみこん)で賊多(ぞくおほ)く打取(うちとり)二人 生捕(いけどり)て市中(しちう)に引ければ皆(みな)人山名/夫(ふう) 婦(ふ)の者を誉恐(ほめおそ)れけるとなん此哥は 秀吉九州/攻(せめ)の時/同伴(どうはん)にて長州 あみだ寺(じ)においてよめり 【右下】  山名禅高(やまなぜんかう) 名(な)ば かりは 沈(しづみ) も は てぬ うた かたの あはれながとの 春(はる)のうらなみ 【左上】 北畠信雄(きたはたけのぶを)は織田信長(おたのぶなが)公の二/男(なん)也 織田/勢(ぜい)永禄(えいろく)十一年/大河内(おほかうち)の城(しろ)を 攻(せめ)やがて和義(わぎ)をとゝのへ信雄(のぶを)十二才 にて北畠/信雅(のぶまさ)の女(むすめ)に配(はい)して彼家(かのいへ) の家督(かとく)となり門(もん)若ふ【?】栄(さかへ)しに天正四 年北畠一/族(ぞく)皆(みな)ほろび失(うせ)しのちも位(ゐ) 階(かい)昇進(しやうしん)して暫時(さんじ)ときめくといへども 信長公/本能寺(ほんのうじ)の変(へん)の後(のち)は日々(ひゞ) 衰(おとろ)へ挙用(きよよう)するものなきゆゑ無念(むねん)に 思ひ秀吉(ひでよし)と鉾楯(むしゆん)におよび一/戦(せん)の 後(のち)和平(わへい)になりけれど豊臣家(とよとみけ)武(ぶ) 威(ゐ)盛(さか)んなる頃(ころ)はかすかなるさまにて 京に住居(すまゐ)し昔(むかし)にも似(に)ず静(しづか)な るに詫(わび)つゝ述懐(じゆつくわい)の心にてこの哥は よめり北畠/准后親房卿(じゆごうちかふさけう)より 十四世の孫(まご)に当(あた)れり 墓(はか)は京都廬山寺(きようとろさんじ)にありて 高照院殿(かうせういんでん)と号(がう)す 【左下】  北畠信雄(きたはたけのぶを) 嬉(うれ)しさのあり とや人 の思ふ らん 憂(うき)を うきとも 歎(なげ)かれぬ身(み)は