翻刻
【右上】
山名豊国(やまなとよくに)は因幡(いなば)の出/久松(ひさまつ)の城主(じやうしゆ)に
て毛利家(まうりけ)に属(ぞく)してありしかど羽柴(はしば)
秀吉(ひでよし)中国/攻(せめ)の時/同意(どうい)せしかば家人(けにん)
どもは毛利家を放(はな)れしをうとみて
離散(りさん)せしゆゑ其身も頓(やが)て世を遁(のが)
れ山家(さんか)に住(じう)し法躰(ほつたい)して禅高(ぜんかう)と号(がう)
すある夜中(やちう)盗(ぬす)人大勢/乱入(らんにう)して禅(ぜん)
高(かう)を討(うた)んとせしを鑓(やり)おつ取(とつ)て
老法師(ろうほうし)が手並(てなみ)を見せんと大
勢にわたり合いどみ戦(たゝか)ひし所
禅高が妻(つま)心/利(きゝ)たる者(もの)ゆゑ物蔭(ものかげ)
に身をひそめ衣服(いふく)を多持(おほくもち)出し賊(ぞく)
の剣戟(けんげき)に投(なげ)かけて纏(まと)ふこと度々(たび〳〵)なれ
ば賊(ぞく)どもはたらき自由(じゆう)ならずたゞよふ
所を禅高/踏込(ふみこん)で賊多(ぞくおほ)く打取(うちとり)二人
生捕(いけどり)て市中(しちう)に引ければ皆(みな)人山名/夫(ふう)
婦(ふ)の者を誉恐(ほめおそ)れけるとなん此哥は
秀吉九州/攻(せめ)の時/同伴(どうはん)にて長州
あみだ寺(じ)においてよめり
【右下】
山名禅高(やまなぜんかう)
名(な)ば
かりは
沈(しづみ)
も
は
てぬ
うた
かたの
あはれながとの
春(はる)のうらなみ
【左上】
北畠信雄(きたはたけのぶを)は織田信長(おたのぶなが)公の二/男(なん)也
織田/勢(ぜい)永禄(えいろく)十一年/大河内(おほかうち)の城(しろ)を
攻(せめ)やがて和義(わぎ)をとゝのへ信雄(のぶを)十二才
にて北畠/信雅(のぶまさ)の女(むすめ)に配(はい)して彼家(かのいへ)
の家督(かとく)となり門(もん)若ふ【?】栄(さかへ)しに天正四
年北畠一/族(ぞく)皆(みな)ほろび失(うせ)しのちも位(ゐ)
階(かい)昇進(しやうしん)して暫時(さんじ)ときめくといへども
信長公/本能寺(ほんのうじ)の変(へん)の後(のち)は日々(ひゞ)
衰(おとろ)へ挙用(きよよう)するものなきゆゑ無念(むねん)に
思ひ秀吉(ひでよし)と鉾楯(むしゆん)におよび一/戦(せん)の
後(のち)和平(わへい)になりけれど豊臣家(とよとみけ)武(ぶ)
威(ゐ)盛(さか)んなる頃(ころ)はかすかなるさまにて
京に住居(すまゐ)し昔(むかし)にも似(に)ず静(しづか)な
るに詫(わび)つゝ述懐(じゆつくわい)の心にてこの哥は
よめり北畠/准后親房卿(じゆごうちかふさけう)より
十四世の孫(まご)に当(あた)れり
墓(はか)は京都廬山寺(きようとろさんじ)にありて
高照院殿(かうせういんでん)と号(がう)す
【左下】
北畠信雄(きたはたけのぶを)
嬉(うれ)しさのあり
とや人
の思ふ
らん
憂(うき)を
うきとも
歎(なげ)かれぬ身(み)は