翻刻
【右上】
日下部元五(くさかべもとかず)は志水伯耆守(しみづはうきのかみ)の息男(そくなん)也ゆゑ
ありて加藤清正(かとうきよまさ)に仕(つか)ふ朝鮮陣(てうせんぢん)の時清正
兀良哈(をらんかい)を攻落(せめおと)す砌(みぎり)元五(もとかず)首数級(くびすきう)を取/功有(こうあり)
然(しか)るに清正/地利(ちり)を計(はかり)て急(きう)に軍勢(ぐんせい)を引揚(ひきあぐ)
る折(をり)から元五(もとかず)が傍輩(ばうばい)戯(たはむれ)て和(わ)どのは日比歌(ひごろうた)を
好(この)まれ候に斯(かゝ)るせはしき場(ば)にても詠(よま)るゝやと
言(いひ)ければ元五/聞(きゝ)て異国(ゐこく)なりとも我国(わがくに)の
詞(ことば)を残(のこ)さんと筆(ふで)をとりあたりの白壁(しらかべ)に此
歌を書(かき)のこし又/蔚山籠城(うるさんろうぜう)の時/明(みん)の大/軍(ぐん)に
囲(かこま)れ夜半(よは)も油断(ゆだん)なく塀裏(へいうら)を廻(まは)り味方(みかた)
を励(はげま)し眠(ねふり)もやらず寒(かん)気/烈(はげ)しき折(をり)から
〽さむけさは鎧(よろひ)のそてに霜(しも)を置(おき)て
さえゆく月のあけかたのそら
《振り仮名:関ヶ原|せきがはら》御陣(ごぢん)の後小西の居城肥後(きよぜうひご)の宇土(うど)
を攻(せめ)し時/元五(もとかず)一/番鑓(ばんやり)の功(こう)あれば清正/感状(かんでう)に
脇差(わきざし)を添(そへ)加増(かぞう)を給はる其後/細川侯(ほそかはこう)加藤
家(け)に日下部與助(くさかべよすけ)を乞得(こひえ)給ひて志水/新(しん)之
允(でう)と改名(かいめい)させ父と共(とも)に中/津(つ)を守(まも)らしむ
後(のち)伯耆守(はうきのかみ)と号(がう)し九十二/歳(さい)にて卒(そつ)す
【右下】
日下部與助元五(くさかべよすけもとかず)
武士(ものゝふ)の矢竹(やたけ)心を
異国(ことくに)の
はての
はて
までしらせ
けるかな
【左上】
金上(かなかみ)遠江/盛備(もりみつ)は奥州南部(おうしうなんぶ)芦名(あしな)盛(もり)
隆(たか)の臣(しん)にて勇猛(ゆうまう)の人也/使者(ししや)となり上
洛(らく)して諸国(しよこく)の使者一/同(とう)出て太閤(たいかう)に
拝謁(はいえつ)せしに金上(かなかみ)いと無骨(ぶこつ)に見えし
かば御前(ごぜん)の人々/批判(ひはん)せしに太閤(たいかう)人
〴〵に示(しめ)して曰(いはく)西国(さいこく)の使者(ししや)はへつ
らふ心ありて腰(こし)をかゞめるは悴(ゑせ)【?】ごとなり
会津(あひづ)の使者は芦名(あしな)にて一二と呼(よば)
るゝ者(もの)ゆゑ拝礼(はいれい)に馴(なれ)ず無骨(ぶこつ)に
見ゆれども無(む)二の勇者(ゆうしや)なりと誉(ほめ)
られし人なり又和哥もよく詠(よみ)
連歌(れんが)は紹巴(せうは)に学(まな)ぶあるとき秀
吉公の御前(ごぜん)にて
〽女も鎧(よろひ)きるとこそきけ
といふ前句(ぜんく)ありしに金上は風雅(ふうが)に志(こゝろざ)
あり附(つけ)よと仰(おほせ)ありければ金上/畏(かしこま)りて
姫百合(ひめゆり)のとも草摺(くさずり)に花ちりて
此付句/斜(なゝめ)ならず御/感(かん)ありて引(ひき)
出(で)もの給はりしとかや
【左下】
金上遠江盛備(かなかみとほ〳〵みもりみつ)
越(こえ)ぬ
べき
山/路(ぢ)を
いかにふる雪(ゆき)の
みなれし鎧(よろひ)
袖(そで)おもるなり