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翻刻
な連共其石垣之う者々迄死骸にて埋上るた
多人山を築たる如く也古今ある満しき事と
皆人云也
別本島原記曰落城以後討取一揆之首男女童共
に壱万五千余原之城之前田之中に悉獄門に
被懸候惣陣之柵木を以跡先を登からかし首
を突立並へ被置候夥敷義共也
長崎記載
一揆之張本益田四郎首
但年拾七肥後宇土郡渡辺村甚兵衛と云
百姓之一子也
又一説には四郎は長崎東浜長中之小
橋西角之家に而出生元和八壬戌年生す
四郎姉之首
四郎姉聟大矢野小左衛門首
監物之首
以上首数四つ江戸長出島之前に獄門に懸る
四郎か徒首三千三百
右長崎西坂に埋之今に此首塚有之
又曰四郎時貞同人姉大矢野小左衛門有江監物