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【右上段】
如來轉法輪聲。上至_二淨居天_一。付屬舌相。何限_二梵世_一。是以
最勝王經。稱讚淨土經等中。說_三廣長舌相。覆《返り点:二》三千界_一。今
經舌相神力。何不_レ至_二有頂_一乎。
會云。玄贊云。至_二梵世_一者。有_二語表_一故。上無_レ語故。更不_レ至_レ
上《割書:云云。|》因位語言。必借_二尋伺_一。尋伺限_二初禪_一故。二禪已上。
無_二語表業_一。舌相者示_二說法德_一故。此品神力所現舌相。至_二
梵世_一也。法輪音聲者。若以_レ轉_二妙法輪_一。於_二大千文_一爲_レ難
歟。彼雖_レ顯_二所化廣事_一。別不_レ云_レ至_二淨居天_一。初轉法輪時。
陳如唱_レ解之聲者。展轉至_二梵天_一。卽同_二今舌相所_レ出難_一。未_レ
詳_二說處_一。《割書:■#1展轉已下十|七字一本無》次餘經舌相者。覆《返り点:二》三千界_一。顯_二利益
廣事_一歟。不_二必同一切_一者也。
問(又 )。經云。出_二廣長舌_一。上至_二梵世_一《割書:云云。》唯限_二梵世_一不_レ至《返り点:二》二
禪以上_一。有_二何故_一耶。 贊云。至_二梵世_一者。有_二語表_一故。上
無_レ語故《割書:云云。》 付_レ之
如_二唯識論抄_一_レ之。
玄贊云。至_二梵世_一者。有_二語表_一故。上無_レ語故更不_レ至《返り点:レ》上《割書:云云。》
【右下段】
水抄云。 問。何故放光直至_二色究竟天_一。乃至出_レ舌。何故
只到_二梵世_一。 答。出_レ舌上至_二梵世_一。初禪有_二語表_一故。向《返り点:レ》上
無也。放光照_二色究竟天_一者。放光驚_二-覺有緣_一。破_二癡暗_一故
《割書:云云。》
私記云。 問。若言_下至_二梵世_一。有_二語表_一故_上者。何故上品云。
其諸梵天上。光音及遍淨。乃至_二于有頂_一。法師住_二於此_一。悉
皆得_レ聞_レ之《割書:云云。》故知。四禪皆有_二語表_一。非_二唯梵世_一。何云_下梵
世有_二語表_一故_上。 答。唯至_二梵世_一有_二語表_一者。二定以上無_二
尋伺_一故。尋伺卽是語言加行。無加行故。亦無_二語表_一者。今言。
二定以上諸禪。有_二語言_一者。水抄釋云。安國云。二禪已上。
離_二尋伺染_一。亦名_二無尋伺_一。非_三無種子現行名_二無尋伺_一。尋
伺旣有_二語表_一。何妨《割書:云云。》 問。若言_三彼定有_二尋伺種_一。發語
何妨。雖_レ有_二種子_一。若不_二現行_一。無_二加行_一故。云何發_レ語。若
更現行爲_二加行_一故。得_レ發_レ語者。何言_三彼定名_二無尋伺_一。
答。今謂。彼經云。光音及遍淨。言語之音聲者。通果所變。
非_二業果變_一。語言音聲也《割書:云云。》
【左上段】
問。經文一切毛孔放_二於無量無數色光_一。皆悉遍照《返り点:二》十方
世界_一《割書:云云。》顯_二何事_一乎。 答。《割書:如_レ文。》 付_レ之先德。就_二經文_一
致《返り点:二》四徴問_一。序分放_レ光。重放何故。《割書:是一。》前二品中。唯放_二眉
間白毫二光_一。何故今言《返り点:二》一切毛孔_一。《割書:是二。》前品光明。唯一白
色。何故言_二放於無量無數色光_一。《割書:是三。》序分放光。唯照_二東
方萬八千土_一。何故今言_二遍照十方_一。《割書:是四。》以_二玄贊四故_一。對_二
遮四徴問_一。具可_レ被_レ出_レ之。
會云。先德出_二《割書:■#1出一|本作於》玄贊釋_一會云。放光者。驚_二-覺有緣_一。破_二
癡暗_一故。《割書:通_二初|徴_一。》一々毛孔者。表_三此經慈悲一乘平等。顯_二皆
備_一故。《割書:通_二第|二徴_一。》無量無數色光者。具_二萬德_一故。《割書:通_二第|三徴_一。》遍照十
方者。覆《返り点:二》一切_一故。《割書:通_二第四|徴_一。云云》
玄贊云。《割書:■#1玄贊云三|字一本無》
基操私記。廣釋可_レ勘_レ之。《割書:■#1基操等九|字一本無》
問。多寶如來。可_レ現_二神力_一乎。 進云。不_レ現《割書:云云。》 付_レ之如
來現_二神力_一者。爲_レ引_二衆會信心_一。付_二-屬今經_一也。《割書:■#1也一|本作歟》證明
多寶。豈不_レ現乎。釋尊在_二同塔_一。旣現_二神力_一。分身住_二樹下_一。
【左下段】
亦現_二神通_一。多寶獨不_レ現_レ通者。衆會豈不_レ經_二證明_一乎。依_レ
之人師現_二神力_一《割書:云云。》
會云。釋迦者說敎主故。出_二廣長舌相_一。顯_二所說眞實_一。分身
又與_二敎主_一同體也。其事《割書:■#1事一|本作由》可_レ同。於_二多寶_一者。出_二證明
言_一。衆會生_二希奇想_一。除_レ疑生_レ信。雖_レ不_レ現_二別通_一。本意旣
足。故玄贊云。由_二多寶佛。已證_レ經訖。更不_一_レ現_レ通。但化佛
示現《割書:云云。》
玄贊云。由_二多寶佛。已證_レ經訖。更不_一_レ現_レ通。但化示現
《割書:云云。》
水抄云。言_二寶佛等_一者。初塔爲_レ證。後以_二身證_一。證_レ敎證_レ
理。二種別故。經文唯有_二釋迦分身示現_一。不_レ說_二多寶示現_一。
由_二已證_レ經了更不_一_レ說也《割書:云云。》
私記云。
問。經文現_二神力_一時。滿_二百千歲_一《割書:云云。》顯_二何事_一乎。 答。
《割書:如_レ文。》 付_レ之釋尊壽量。僅八十年。卅五成道後。經《返り点:二》四十
餘年_一。始說_二今經_一。若爾。說經時節五箇年也。神力一品間。
現代語訳
【右上段】
如来の転法輪の声は、上は浄居天に至る。付属の舌相は、なぜ梵世に限るのか。そこで最勝王経、称讃浄土経等の中では、広長舌相が三千界を覆うと説く。今経の舌相神力は、なぜ有頂に至らないのか。
会釈して云う:玄賛に云う「梵世に至るとは、語表があるためである。上には語がないため、更に上に至らない」と。因位の語言は、必ず尋伺を借りる。尋伺は初禅に限るため、二禅以上には語表業がない。舌相は説法の徳を示すため、この品の神力が現す舌相は、梵世に至るのである。法輪の音声については、妙法輪を転ずることを、大千文において難とするであろうか。彼は所化の広いことを顕すといえども、別に浄居天に至るとは云わない。初転法輪の時、陳如が唱解の声は、展転して梵天に至る。即ち今の舌相の所出と同じ難である。説処を詳らかにしていない。次に余経の舌相は、三千界を覆うのは、利益の広いことを顕すのであろうか。必ずしも一切同じではないのである。
問:経に云う「広長舌を出し、上は梵世に至る」と。ただ梵世に限って二禅以上に至らないのは、どんな理由があるのか。賛に云う「梵世に至るとは、語表があるためである。上には語がないため」と。これについて、唯識論抄の如し。
玄賛に云う「梵世に至るとは、語表があるためである。上には語がないため更に上に至らない」と。
【右下段】
水抄に云う:問:なぜ放光は直ちに色究竟天に至り、乃至舌を出すのに、なぜただ梵世に到るのか。答:舌を出して上は梵世に至るのは、初禅に語表があるためである。上の方にはない。放光が色究竟天を照らすのは、放光が有縁を驚覚し、癡暗を破るためである。
私記に云う:問:もし「梵世に至るのは、語表があるため」と言うならば、なぜ上品に云う「その諸の梵天の上、光音及び遍浄、乃至有頂において、法師がそこに住すれば、悉く皆これを聞くことを得る」とあるのか。故に知る、四禅皆語表あり。ただ梵世のみではない。なぜ「梵世に語表があるため」と云うのか。答:ただ梵世に至るまでに語表があるのは、二定以上には尋伺がないためである。尋伺即ちこれ語言の加行である。加行がないため、また語表もない。今言う、二定以上の諸禅に語言があるというのは、水抄の釈に云う「安国に云う、二禅以上は、尋伺の染を離れ、また無尋伺と名づく。種子現行がないのを無尋伺と名づくのではない。尋伺既に語表あり、何の妨げがあろうか」と。問:もしその定に尋伺の種があると言うなら、語を発するに何の妨げがあろうか。種子ありといえども、もし現行しなければ、加行がないため、どうして語を発するか。もし更に現行して加行とするため、語を発することを得るなら、なぜその定を無尋伺と名づけると言うのか。答:今思うに、その経に云う「光音及び遍浄、言語の音声」とは、通果の所変であって、業果の変ではない語言音声である。
【左上段】
問:経文に「一切毛孔より無量無数の色光を放ち、皆悉く十方世界を遍照す」とある。何事を顕すのか。答:文の如し。これについて先徳は、経文について四つの徴問を致した。序分の放光に、重ねて放つのはなぜか(これ一つ)。前の二品中では、ただ眉間白毫の二光を放つのに、なぜ今「一切毛孔」と言うのか(これ二つ)。前品の光明は、ただ一つの白色なのに、なぜ「無量無数色光を放つ」と言うのか(これ三つ)。序分の放光は、ただ東方万八千土を照らすのに、なぜ今「十方を遍照す」と言うのか(これ四つ)。玄賛の四つの故をもって、四つの徴問を遮することに対し、具にこれを出すべきである。
会釈して云う:先徳が玄賛の釈を出して会釈して云う「放光とは、有縁を驚覚し、癡暗を破るためである(初徴に通ず)。一々毛孔とは、この経の慈悲一乗平等を表し、皆備わることを顕すためである(第二徴に通ず)。無量無数色光とは、万徳を具するためである(第三徴に通ず)。十方を遍照するとは、一切を覆うためである(第四徴に通ず)」と。
玄賛に云う:基操私記、広釈これを勘むべし。
問:多宝如来は、神力を現すべきか。進んで云う「現さない」と。これについて如来が神力を現すのは、衆会の信心を引くため、今経に付属するためである。証明の多宝が、どうして現さないであろうか。釈尊が同じ塔に在って、既に神力を現す。分身が樹下に住して、
【左下段】
また神通を現す。多宝独り通を現さないのは、衆会がどうして証明を敬わないであろうか。これに依って人師が神力を現すと。
会釈して云う:釈迦は説教主であるため、広長舌相を出して、所説の真実を顕す。分身もまた教主と同体である。その事は同じであるべきだ。多宝については、証明の言を出し、衆会が希奇の想いを生じ、疑いを除いて信を生ずる。別の通を現さずといえども、本意既に足りている。故に玄賛に云う「多宝仏により、已に経を証し訖んぬ。更に通を現さず。ただ化仏の示現のみ」と。
玄賛に云う「多宝仏により、已に経を証し訖んぬ。更に通を現さず。ただ化の示現のみ」と。
水抄に云う「宝仏等と言うのは、初めに塔で証し、後に身をもって証する。教を証し理を証する、二種の別があるため。経文にはただ釈迦分身の示現のみがあり、多宝の示現を説かない。已に経を証し了わったため、更に説かないのである」と。
私記に云う:
問:経文で神力を現す時、百千歳を満たすとある。何事を顕すのか。答:文の如し。これについて釈尊の寿量は、わずか八十年である。三十五歳で成道後、四十余年を経て、始めて今経を説いた。そうであれば、説経の時節は五箇年である。神力一品の間に、