天保郷帳を翻刻!

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常陸国郷帳 - 翻刻

常陸国郷帳 - ページ 151

ページ: 151

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一高三百六拾三石八斗九升五合  《場所:大砂村》          《割書:《場所:沼崎》》 一高百弐拾弐石壱斗壱升七合六勺 《場所:屋賀代村》 一高弐百四拾九石弐斗      《場所:高野村》 一高七拾九石三斗四升三合    《場所:九本木村》 一高弐百四石壱斗九升      《場所:辻村》 一高弐百六拾壱石五斗八升壱合  《場所:北村》 一高百三拾六石六升八合弐勺   《場所:中野内村》 一高七拾石弐斗八升壱合     《場所:弥平太村》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは大砂村の高は293.376でここの高と違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには屋賀代村はない。沼崎村は5カ所あるが高が合わない。日本歴史地名大系 「屋賀代村」の解説に『近世初期は沼崎村のうちで、元禄郷帳・天保郷帳には「沼崎屋賀代村」とある。江戸時代を通じて旗本領。幕末に再び沼崎村となる。』とある。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには高野村は6か所ありこの6か所の高の合計は253.640でここの高に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには九本木村はない。角川日本地名大辞典の茨城県つくば市の九本木村村(近世)の項に『高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに79石余明治初年頃までに沼崎村の一部となる』とあり、沼崎村に含まれていると思われる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには辻村はない。角川日本地名大辞典の茨城県つくば市の辻村(近世)の項に『高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに204石余寺院は真言宗光勝寺(新編常陸)明治初年頃までに沼崎村の一部となる』とあり、沼崎村に含まれていると思われる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには北村はない。角川日本地名大辞典の茨城県つくば市の北村(近世)の項に『高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに261石余明治初年頃までに沼崎村の一部となる』とあり、沼崎村に含まれていると思われる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには中野内村はない。角川日本地名大辞典の茨城県つくば市の中野内村(近世)の項に『高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに136石余寺院は真言宗福寿院(新編常陸)明治初年頃までに沼崎村の一部となる』とあり、沼崎村に含まれていると思われる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは弥平太村はの高は70.281でここの高にぴったり一致する。】