天保郷帳を翻刻!

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常陸国郷帳 - 翻刻

常陸国郷帳 - ページ 194

ページ: 194

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一高千六拾石七斗弐升三合     《場所:阿波崎村》 一高三拾七石五斗六升弐合     《場所:中神村》 一高六百弐拾三石三斗六升五合   《場所:下須田村》 一高百壱石九斗六升        《場所:稲荷新田》 一高四百四拾三石九斗五升六合七勺 《場所:生板村鍋子新田》 一高七百七拾四石弐斗七升四合   《場所:鍋子埜原新田》 一高弐拾壱石九斗三升六合三勺   《場所:鍋子新田》 一高八石三斗六升八合四勺     《場所:桑山新田》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには阿波崎村は2か所ありこの2か所の高の合計は1098.286でここの高に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースに中神村はない。角川日本地名大辞典の茨城県東町の中神村(近世)の項に『「新編常陸」などによれば,天保年間~明治初年に下須田村の一部となる』とあり、旧高旧領では下須田村に含まれているものと思われる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは下須田村の高は623.365でここの高にぴったり一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは稲荷新田の高は101.960でここの高にぴったり一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには生板村鍋子新田はない。生板鍋子新田があるが、ここは後に別に出てくる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには鍋子埜原新田はない。角川日本地名大辞典の茨城県の鍋子埜原新田(近世)の項に『「天保郷帳」に鍋子埜原新田774石余と見える江戸中期頃に利根川あるいは新利根川流域の低湿地に開発された現在の河内町地内の新田とみられるが,現在地は未詳』とある。生板村もそうだが、低湿地の為か現在地が未詳の新田などが多く、旧高旧領と比況するのが難しい村がこの後も続く。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースに鍋子新田はないが、別に鍋子新田が付く宮淵鍋子新田、大徳鍋子新田、生板鍋子新田がある。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースに桑山新田はないが、以前に出てきた桑山村に含まれていると思われる。】