天保郷帳を翻刻!

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常陸国郷帳 - 翻刻

常陸国郷帳 - ページ 193

ページ: 193

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一高三拾三石九斗壱升四合     《場所:小来栖村》 一高弐百九拾三石弐斗八升七合   《場所:山来村》 一高四百八拾石六斗        《場所:三次村》 一高弐百六拾七石弐斗五升三合   《場所:上馬渡村》 一高三百拾八石六斗五升七合    《場所:下馬渡村》 一高三百八拾六石八斗六升壱合八勺 《場所:須賀津村》 一高百弐拾九石壱斗五升壱合四勺  《場所:北須賀津村》 一高六百九拾八石五斗弐合     《場所:甘田村》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには小来栖村はない。角川日本地名大辞典の茨城県桜川村の小来栖村(近世)の項に『天保年間から明治初年に再び四箇村の一部となる』とある。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは山来村は南山来村で高は50.797でここの高に合わない。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには三次村は2か所ありこの2か所の高の合計は481.007でここの高に非常に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには上馬渡村は2か所ありこの2か所の高の合計は239.002でここの高に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには下馬渡村は3か所ありこの3か所の高の合計は347.514でここの高に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには須賀津村は2か所ありこの2か所の高の合計は516.920でここの高と違う。角川日本地名大辞典の茨城県桜川村の須賀津村(近世)の項に『正保年間に北須賀津村を分村したが,天保年間から明治初年に再び合併。』とある。次の項の北須賀津村の高も加えると516.0132で旧高旧領の高とほとんど一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには北須賀津村はない。角川日本地名大辞典の茨城県桜川村の須賀津村(近世)の項に『正保年間に北須賀津村を分村したが,天保年間から明治初年に再び合併。』とあり、北須賀津村は旧高旧領の時に須賀津村に合併している。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには甘田村は2か所ありこの2か所の高の合計は571.00965でここの高と違う。】