伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 20

ページ: 20

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【右丁】 《割書:御事ありしは永禄八年の事なれは忠興か輝経か嗣たりといふ事は|わつかに二三才の時の事なるへし○又按するに中務太輔輝経は》 《割書:細川二郎義季孫八郎頼貞九代の|孫にて光源院殿の御代の衆なりし也》永禄八年正月十九日光 源院殿三好松長等かために弑せられたまひ御弟 一乗院門跡覚慶をはとりこめ奉り鹿苑寺の周尊は うたれたまひぬ兵部太輔藤孝か謀にて一乗院殿 春日山を踰て近江国に落たまふ藤孝御供に侍らひて 頓て還俗させ参らせ義昭と申奉り当国佐々木 義賢入道承禎を頼たまひしかと入道心かわりして けれは若狭の国へ御供申し武田大膳大夫義統を たのませたまへとも国すこしきに勢すくなけれは夫より 【左丁】 越前の国へ御供申し朝倉左衛門督義景を御頼ある是も はかゆくへしとも見へされは藤孝上野中務太輔清信 と共に御使となつて美濃国におもむき織田弾正忠信 長を頼ませ給ふに信長かしこまつて御迎を参らせ けれは藤孝御供申て美濃国へわたらせ給ふほとなく 御敵をうち参らせ義昭ふたゝひ御入洛ありて征夷将軍 の宣旨かうふらせたまひけるされと此将軍は御器量勝 れさせたまはす佞人の申所を御用ひ有て信長の功を わすれ給ひ彼朝臣をうしなふへきよしをおほし召立 藤孝かいさめとゝめ参らする事ともさらに用ひ玉はす 【同 頭部欄外】 元亀四年七 月十日信長 堀川の内桂 川西地を 以て藤孝に 領せられ是 より長岡と 名のる是も 所領の地名 によつて也