翻刻
【右丁】
信長我をうしなふへしと軍起させたまふと聞て軍勢余
多引具して上洛す藤孝も信長の陣に参るとて大津にて
待あひうちつれて都に入る将軍の御軍かけまけさせ
たまひ御中なをりの事仰られしかは信長軍兵を引
て帰るほとなく又軍起させ給ひしかは 信長大に
いかつて宇治槙の島浜等の城を攻落す将軍家御命
の事をはいかにも たすけ参らすへきよしをいろ〳〵に
なけき仰られしによつて 信長もうしなひ申す
まての事もなく 河内の城若江の城に送り入奉り御方
人せし者とも こと〳〵く退治して本国に帰らるかく
【左丁】
二度迄信長うしなふへしと御結構ありしかと何の御つゝか
なく都を御ひらき有し事内々は藤孝信長に したかひて
とくこしらへし故也とそ 聞えけるこれより藤孝信長
に随て青龍寺の城に住し一方の大将にして度々の
武勇をあらはす忠興童名は与一郎とそ申ける十一才
にて父に随ひて槙の島の合戦に高名し河内の国
片岡の城を攻し時与一郎十五才舎弟頓五郎十四才
《割書:玄蕃允|興元也》兄弟共に父に随て此日の先かけして二人なから
首取て終に城を攻おとす 織田殿大におとろき感し
たまひ彼兄弟に御教書給て賞せられ天正九年彼