翻刻
【右丁】
伊達《割書:松平》 細川 加藤 藤堂 森
【左丁】
伊達 《割書:後賜松平》 藩翰譜七之下
《割書:付》兵部少輔宗勝
中納言藤原政宗は河部左大臣魚名公の玄孫中納言山蔭の
末葉也《割書:其系図を見るに中納言山蔭九代の孫高松院非蔵人朝家文治の|比はしめて奥州に下り伊達郡に住すと云々 その系図幷に》
《割書:公卿補任等を合せ考るに山陰は仁和四年二月七日六十七才にして薨す|これより文治の比に至りておよそ三百年に及へりしかれは朝家 山蔭》
《割書:九代の孫といふもうたかひなきにあらす一世ことに三十年をたもつ共|年数なを 余りありその世つきにもれたる人あるにやしからすんは》
《割書:又朝家か奥に下りし事文治の比にはあらし 文治の比に伊達郡を|領せし朝家か子家村か時の事成へし一説に中納言山蔭の清風朝家》
《割書:常陸の国に下り中村に住す其子宗村常陸介に任す 常陸入道念西|これ也 宗村後に 奥州 伊達郡を 領し 子孫伊達と称すと云々》
《割書:此説東鑑等にあはせ見るにおほやうはたかはすおもふに 文治三年鎌倉殿|奥の泰衡を討れし時 中村常陸の入道念西子息等引具し》
《割書:伊達の郡のさきかけしその功多かりしによつて やかて伊達の郡を給|はりこれより 子孫此所に住せしと見えし たゝし 念西に伊達郡》