伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 5

ページ: 5

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【右丁】 《割書:給ひしといふ事東鑑に見へす○又系図にいはく朝宗か子宗村を|中村常陸入道念西といひ満勝寺と号し 建長三年辛亥十月二日》 《割書:に死其子栗野二郎蔵人大夫義広三十三の観音の像を作り 一堂|を建立し入道して覚仙と号し 此堂に 隠居して康元元年丙辰》 《割書:九月廿三日に卒すと云々是もおほつかなし東鑑を按するに文治五年|鎌倉殿泰衡をうたれし時常陸入道念西子息常陸 冠者》 《割書:為宗二郎為重三郎資綱四郎為家兄弟の者共 何れも郡の|さきかけし佐藤庄司等十八人の首をえたりと見ゆ念西既に》 《割書:入道し 又兄弟の子四人を軍たちて高名せしかは此時念西か齢|四十には余りぬへしそれか建長まて世になからへたらんには》 《割書:凡とし百歳には 余りなんまた念西か子義広康元元年に死す|といへは父念西か死せし事わつか四年を隔たり又義広も入道して》 《割書:覚仏と号し隠居すといへは父いまた死せさりし内にこれも入道|隠居せしにや かれといひこれといひいふかしき事也思ふに此義広と》 《割書:いひしは念西か孫か又曽孫にあらすや 東鑑のうちにしるせる念西か|子の中に義広と いふは見へす又念西か建長三年辛亥に死したり》 《割書:といふ事文字あやまれるにあらすや 文治五年のうち建久二年|辛亥なり久と三との字をあやまりて長と三につくる 長の字の》 《割書:草書久の字に似たり二は無にあやまるへし又そのゝち建仁三年も|癸亥也建保三年も乙亥也 これらのうちにもあやまれるかされ共》 【左丁】 《割書:其家の伝ふるところ 他人の 論すへき事にあらす 又疑はしき事其|儘にもしるすへからされはこゝに注【住は誤ヵ】して 本文に略す世にしれる》 《割書:人なれは大膳大夫政宗としるす系図の|つたふる所は 政宗は朝宗か八代の孫といふ》中納言政宗八代の祖をも 伊達大膳大夫政宗と申ける 代々 陸奥 伊達郡に住し けり此人累代弓箭の業を続て其道の事はいふに及はす 《割書:当国長井の庄をは此人の|時にうちしたかへしと也》敷島の道に心を寄よめる歌秀逸お ほく文武の道天下に顕れたり《割書:系図幷に世に伝ふる系譜|等にいはく新続古今集撰せ》 《割書:られし時に此政宗 かきすつるもしほなりとも此たひはかへさてとめよ|わかの浦人といふ哥よみて二首の哥をたてまつる その山家霧に》  《割書:山あひの霧はさなから海ににて浪かと聞は松風の音その山家雪に|中〳〵につゝら折なる道絶て 雪にとなりの ちかき 山里 その》 《割書:後応永二年乙亥九月十四日に卒す 家をたもつ事三十二年也|公方勝定院殿政宗か身まかれりと聞し召て》  《割書:ものゝふのあとこそあらめ敷島の道さへ絶んことの悲しき|折はてぬかさしともなれことの葉に そへてかきやる徒の花ふさ》