天保郷帳を翻刻!

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陸奥国郷帳 7 - 翻刻

陸奥国郷帳 7 - ページ 29

ページ: 29

翻刻

一高三百拾八石九斗  《場所:宮田村》 一高五百弐拾九石壱斗 《場所:新町野村》 一高百五石七斗    《場所:滝沢村》 一高百弐拾壱石三斗  《場所:長森村》 一高九拾四石七斗   《場所:奥野村》 一高三拾三石四斗   《場所:築野木館村》 一高五石       《場所:狩場沢村》 一高弐拾九石弐斗五升 《場所:口広沢村》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは宮田村の高は391.239でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは新町野村の高は553.982でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは滝沢村の高は197.033でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは長森村の高は117.729でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは奥野村の高は90.479でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは築野木館村は築木館村で高は56.534でここの高とは違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには狩場沢村はない。日本歴史地名大系によると石高は少ないが盛岡藩と弘前藩の境界にあり重要視されたと思われる、とある。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは口広沢村は口広村で高は31.159でここの高とは違う。角川日本地名大辞典の青森県平内町の口広村(近世)の項に『江戸期の郷帳類では口広沢村と見え,「旧高旧領」からは口広村と記されていることから,江戸末期に口広沢村から口広村へ改称されたとも考えられる。』とある。】