Gallicaの日本資料を翻刻!

コレクション: コレクション1

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ページ: 107

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二十四年の夏(なつ)帰朝(きてう)し。八月に京師(みやこ)へ入 参内(さんだい)ありて竜顔(りうがん)を拝(はい)し唐土(とうど)にて得(う)る所(ところ) の経論疏記(きやうろんそき)二百三十 余部(よぶ)并(ならびに)五百 巻(くわん)また金字(きんじ)の法華経(ほけきやう)は金剛般若経(こんがうはんにやけう) 智者大師(ちしやだいし)の禅鎮(ぜんちん)。白角如意(はくかくのによい)等(とう)を献(けん)じられければ。帝(みかど)大いに睿感(ゑいかん)在(ましま)し最(さい) 澄(てう)が入唐(につとう)して天台(てんだい)の諸(しよ)典藉(てんせき)を授(さづか)りて帰(かへり)しは。仏法(ぶつほふ)興行(かうげう)にとりて比類(ひるい)なき勲(くん) 功(かう)なりとて国師号(こくしがう)を給(たま)はり。彼(かの)諸(しよ)典籍(てんせき)は天下に流布(るふ)すべきため禁中(きんちう)の上紙(じやうし)を 給(たま)はりて和気弘世(わけのひろよ)に命(めい)ぜられ学生(がくせい)の能書(のふじよ)を集(あつめ)て写(うつ)させ給ひけり。斯(かく)て最澄(さいてう)は 倍(ます〳〵)丹誠(たんせい)を凝(こら)して天台派(てんだいは)を世(よ)に弘(ひろ)め後(のち)。嵯峨(さが)天皇の弘仁(かうにん)十三年二月 帝(みかど)の御(ご) 宸翰(しんかん)にて伝灯法師(でんとうほふし)の記を賜(たまは)り。同年(どうねん)六月 遷化(せんげ)せられけり。寿(ことぶき)五十六才也 最澄(さいてう)著述(ちよじゆつ)の書(しよ)多(おほ)し。人皇(にんわう)五十六代 清和(せいわ)天皇の貞観(でうぐわん)八年八月 伝教大師(でんぎやうだいし) と謚号(おくりがう)を賜(たまは)りけり。天台宗(てんだいしう)の末世(まつせ)まで繁昌(はんじやう)するは。偏(ひとへ)に此大師(このだいし)の法徳(ほふとく)による所(ところ)なりけり 扶桑皇統記後篇巻之一終