← 前のページ
ページ 248 / 521
次のページ →
翻刻
よく知(しり)つらめ。我(われ)は釈空海(しやくのくうかい)とて霊場(れいぢよう)を求(もと)め伽藍(がらん)を造立(ぞうりう)すべき大 願(ぐわん)あり。もし近(きん)
国(ごく)に然(しかる)べき霊山(れいざん)あらば教(をしへ)くれられ候へと仰(あふせ)ければ。猟夫(かりうど)答(こたへ)て曰(いはく)。仰(あふせ)のごとく我(われ)は紀伊(きの)
国(くに)の猟夫(かりうど)にて此(この)年来(としごろ)近国(きんごく)遠国(ゑんごく)の高山(かうざん)深山(しんざん)分(わけ)登(のぼ)らざる所(ところ)もなく候。其中(そのなか)に最上(さいじやう)
の名山(めいざん)の候。所(ところ)は紀伊国(きのくに)伊都郡(いとごほり)の南(みんなみ)に当(あたつ)て。三 面(めん)に山 列(つらな)り巽(たつみ)に開(ひら)けて一 流(りう)の渓水(たにみづ)東(ひがし)
に流(なか)れ。峰(みね)聳(そびへ)渓(たに)深(ふか)けれども。羊腸(さかみち)さのみ嶮岨(けんそ)ならず諸虫(しよちう)人を螫(さゝ)ず猛獣(もうじふ)人を
害(がい)せず。絶頂(ぜつてう)にいたれば広々(くわう〳〵)たる平地(へいち)ありて白日(ひる)は紫(むらさき)の雲(くも)靉靆(たなびき)夜陰(よる)は霊光(れいくわう)四(よ)
方(も)に耀(かゝや)けり。伽藍(がらん)を。建立(こんりう)し玉ふには誠(まこと)に究竟(くつけう)の名山(めいざん)なり和尚(おせう)もし彼山(かのやま)を開(ひら)き伽(が)
藍(らん)を造立(ぞうりう)あらば恐(おそ)らくは日本(につほん)第一(だいゝち)の仏場(ぶつぢよう)となり候べし。我(われ)もまた多年(たねん)殺生(せつせう)せし
滅罪(つみほろぼし)のため一臂(いつひ)の力(ちから)を助(たす)けまさん。さもあれ和尚(おせう)は彼地(かのち)の案内(あんない)を知(しり)給ふまじければ。我(わが)
此(この)二 疋(ひき)の犬(いぬ)を貸(かし)まゐらすべし。此犬(このいぬ)よく山路(やまぢ)の導引(あんない)をしり候へば。率連(ひきつれ)給へとて猟(かり)
狗(いぬ)を貸(かし)けるにぞ。空海師(くうかいし)深(ふか)く怡(よろこ)び給ひ厚(あつ)く礼謝(れいしや)を述(のべ)て犬(いぬ)を借(かり)給ひければ猟夫(かりうど)は