← 前のページ
ページ 351 / 521
次のページ →
翻刻
扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之五
浪華 好華堂野亭参考
陽成院(やうせいいん)御即位(ごそくゐ) 菅家(かんけ)系譜(けいふ)角觝(すまふ)濫觴(はじまりの)条(こと)
貞観(でうくわん)十一年に大納言(だいなごん)藤原氏宗(ふぢはらのうじむね)。参議(さんぎ)大江音人(おほえのおとんど)。刑部卿(ぎやうぶけう)菅原是善(すがはらのこれよし)三人
貞観(でうくわん)格(かく)を撰(えらん)で奉(たてまつ)りけり。列位(おの〳〵)当時(とうじ)の博識(はくしき)なり。同十三年八月 源融(みなもとのとふる)を左(さ)
大臣(だいじん)とし藤原基経(ふぢはらのもとつね)を右大臣(うだいじん)とせられける。此(この)基経(もとつね)と申は。前条(まへ)に述(のぶ)るごとく藤原(ふぢはらの)
良相(よしすけ)の婿(むこ)にて双(ならび)なき智能(ちのふ)の人なり。則(すなは)ち藤原寺平(ふぢはらのしへい)の父(ちゝ)にて薨去(かうきよ)の後(のち)昭宣(せうせん)
公(こう)と謚(おくりな)せられし名臣(めいしん)なり。又 源融(みなもとのとふる)と申は嵯峨(さが)天皇の皇子(わうじ)にて人臣(じんしん)に下(くだ)り給へり
嵯峨源氏(さがげんじ)の鼻祖(びそ)にて。此(この)大臣(おとゞ)陸奥(みちのく)松島(まつしま)の千賀(ちが)の浦(うら)の風景(ふうけい)を愛(あい)して六条院(ろくでうのいん)に
千賀(ちか)の浦(うら)の地景(ちけい)を摸(うつ)し。大いなる池(いけ)を湛(たゝへ)て摂州(せつしう)難波(なには)の浦(うら)より毎日(ひごと)多(おほ)くの潮(うしほ)を都(みやこ)
へ運(はこば)せ。六条院(ろくでうのいん)の池(いけ)に溜(ため)汐(しほ)焼(やく)蜑乙女(あまおとめ)に汐(しほ)を汲(くま)せて楽(たの)しまれけり。因(よつ)て六条院(ろくでうのいん)を川(かは)