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原院(らのいん)ともいひ。大臣(おとゞ)を川原左大臣(かはらのさだいじん)と称(せう)せり。源氏物語(げんじものがたり)に何(なに)がしの院(いん)と書(かき)しも此川(このかは)
原院(らのいん)の事なり。同十八年十一月 清和(せいわ)天皇 宝祚(みくらゐ)を春宮(とうぐう)貞明親王(さだあきらしんわう)に譲(ゆづ)り給ひ。御
身(み)は仙洞(せんとう)へ入せ給ふ。後(のち)に水尾山(みづのをやま)へ入(いつ)て仏道(ぶつどう)御 修行(しゆぎやう)ありしゆへ水尾帝(みづのをのみかど)と申奉れり
御 在位(ざいゐ)十八年なり。貞明親王(さだあきらしんわう)御 年(とし)八才にて帝位(ていゐ)に即(つき)給ふ此君(このきみ)を五十七代の帝
陽成院(やうぜいいん)と申奉(たてまつ)る。即(すなは)ち清和(せいわ)天皇の皇子(わうじ)にて御 母(はゝ)は皇太后(くわうたいこう)藤原高子(ふぢはらのたかこ)と申 故(こ)
中納言(ちうなごん)長良卿(ながよしけう)の女(むすめ)にて右大臣(うだいじん)基経(もとつね)の妹(いもと)なり。世(よ)に二条后(にでうのきさき)と申は是(これ)なり。陽成帝(やうぜいてい)は
貞観(でうくわん)十年に降誕(かうだん)在(ましま)し同十一年 春宮(とうぐう)に立(たち)玉へり。偖(さて)宝祚(ほうそ)を嗣(つぎ)給ひし頃(ころ)は太極(たいきよく)
殿(でん)焼失(せうしつ)せし後(のち)なれば。いまだ修理(しゆり)成就(じやうじゆ)せざるを以(もつ)て豊楽殿(ぶらくでん)に於(おい)て大嘗会(だいぜうゑ)の大礼(たいれい)
を執行(とりおこな)はせ給ひける。暦号(れきがう)を元慶(げんけい)元年と改元(かいげん)ありけり。同二年 出羽国(ではのくに)に夷賊(いぞく)蜂(ほう)
起(き)しければ征東使(せいとうし)を下され。同三年 夷賊(いぞく)誅(ちう)に伏(ふく)し逆乱(げきらん)平定(へいでう)しける故(ゆへ)征東使(せいとうし)都(みやこ)
へ凱陣(かいぢん)す。同四年 太上天皇(だじやうてんわう)《割書:清|和》丹波国(たんばのくに)水尾山(みづのをやま)へ入(いり)玉ふ。同五年 在原業平(ありはらのなりひら)卒去(そつきよ)す