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ところとは不知(しらず)世人(せじん)皆(みな)菅公(かんこう)の祟(たゝり)【崇は誤】なりと思(おも)ひ舌(した)をふるはして怕合(おそれあひ)けり。加之(しかのみ)ならず時平(ときひら)の
子息(しそく)保忠(やすたゞ)敦忠(あつたゞ)両人(りようにん)も奇病(きびやう)を患(やみ)て死(し)し。尚(なを)また時平(ときひら)の妹(いもと)たる女御(にようご)隠子(おんし)も患病(いたつき)
に依(よつ)て薨(こう)じ給ひ。打続(うちつゞい)て春宮(とうぐう)保明親王(やすあきらしんわう)《割書:時平|の甥》も病死(びやうし)なし給ひけるにぞ。帝(みかど)の御 歎(なげ)き
大方ならず。是(これ)も菅霊(かんれい)の所為(なすところ)なりと思召(おぼしめし)返(かへ)す〴〵も菅公(かんこう)を左遷(させん)【迁は俗字】し給ひし事を御(ご)
後悔(こうくわい)在(ましま)し。筑紫(つくし)へ勅使(ちよくし)を下(くだ)され。菅公(かんこう)の霊(れい)を宥(なだめ)られんため正(しやう)二 位(ゐ)の宦(くわん)を贈(おく)り給ひ。神(かみ)に
鎮祭(しづめまつ)り大富天神(たいふてんじん)と神号(しんがう)をさへ賜(たまは)りけり。然(しかれ)ども天帝(てんてい)の怒(いかり)尚(なを)止(やま)ざりけん。延喜(えんぎ)十四年
甲戌(きのへいぬ)三月 下旬(げじゆん)洛中(らくちう)に火災(くわさい)発(おこ)り。上(かみ)は一 条(でう)より下(しも)は五 条(でう)まで。東(ひがし)は川原(かはら)より西(にし)は大宮通(おほみやどふり)まで
一 円(ゑん)に焼亡(しやうもう)し僅(わづか)に内裏(だいり)は焼残(やけのこり)けれども内裏(だいり)より上(かみ)の人家(じんか)も残(のこり)少(すくな)に類焼(るいせう)し。三日三夜の
間(あいだ)火(ひ)鎮(しづま)らず。さしもに広(ひろ)き平安城(へいあんじやう)も忽(たちま)ち赤土(せきど)となり。公卿(くげう)殿上人(てんぜうびと)も住家(すみか)なく。ましてや
武士(ぶし)市人(てうにん)は山林(さんりん)へ逃入(にげいり)。あるひは近国(きんごく)へ逃行(にげゆく)も多(おほ)く。親(おや)を失(うしな)ひ子(こ)をはぐらかし。夫(をつと)を見 失(うしな)ひ
妻(つま)に別(わか)れ。尋(たづ)ね迷(まよ)ひ呼(よび)さまよふ光景(ありさま)阿鼻(あび)焦熱(せうねつ)の地獄(ぢごく)も斯(かく)やと怪(あや)しまれける。是(これ)を