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矢(や)うち番(つがひ)て同時(どうじ)に切(きつ)て放(はな)しけるに過(あやま)たず種継(たねつぐ)の咽輪(のどわ)と胸(むね)の正中(たゞなか)をひとしく射(い)
串(とふ)しける。二所(ふたところ)とも急所(きうしよ)の手(て)なれば何(なん)ぞ堪(こらふ)べき。苦(あつ)と一声(ひとこゑ)叫(さけ)びし侭(まゝ)にて免首(うつぶき)に
倒(たを)れ伏(ふし)けるゆへ両人(りようにん)とも心 悦(よろこ)び逸足(あしばや)に逃退(にげのき)立去(たちさり)けり。種継(たねつぐ)が妻(つま)は斯(かく)ともしらず
何事(なにごと)にや人の叫(さけ)びし声(こゑ)の聞(きこ)えしを怪(あやし)み行(ゆき)て見るに。夫(をつと)種継(たねつぐ)は急所(きうしよ)に二筋(ふたすじ)の矢(や)を射(い)
付(つけ)られ免首(うつむき)に伏居(ふしゐ)たりけるにぞ。是(こ)はいかにと大いに駭(おどろ)き。急(きう)に家内(かない)の男女(なんによ)を呼集(よびあつ)め
先(まづ)夫(をつと)を扶(たす)け起(おこ)し矢(や)を抜捨(ぬきすて)て介抱(かいほふ)しけれども大事(だいじ)の手(て)【注】なれば言句(ごんく)を発(はつ)する事も
能(あた)はず。其夜(そのよ)の暁頃(あけがた)に終(つひ)に空(むな)しく成(なり)にける。年齢(ねんれい)四十九才なりけり。妻子(さいし)親族(しんぞく)寄(より)
集(あつま)りて悲歎(ひたん)する事 限(かぎり)なく。何(いか)なる悪党(あくとう)の所為(しわざ)なるぞと穿議(せんぎ)すれども更(さら)に
敵(かたき)を知(しる)べき便(たより)もなく。先(まづ)帝(みかど)へ奏(そう)せずんば有(ある)べからずと。平城(なら)へ急馬(はやうま)を立(たて)て種(たね)
継(つぐ)の横死(わうし)せし趣(おもむ)きを奏(そう)しければ。帝(みかど)大いに駭(おとろ)かせ給ひ。急(きう)に宝輦(ほうれん)を長岡(ながおか)の新(じん)
都へ還(かへ)し給ひ。寵臣(てうしん)の種継(たねつぐ)なれば御哀悼(ごあいたう)の勅使(ちよくし)を遣(つかは)され。せめて亡魂(ぼうこん)を慰(なぐさ)
【注 大事の手=ひどい手傷。一命にかかわるような重傷。】