翻刻
余古の後五年を扁て辛丑の歳。郡宰となりけるに。その頃盤穀物は
相応尓出来。民食尓乏しからねと。先手凶荒の時より。末迄借金
/嵩(かさ)み。下の困窮更尓甚し。其故は。凶年尓は賑救もあり。用捨筋も
ありて。なにかなしにたちゆ希と。却て豊年尓なり。借財の古りて
困窮せる也。かゝる時よくせずは。唐山尓いへる/豊逃(不うとう)といへる事となり。
離散逃亡多かるへき尓。幸尓上よ里民境を察しゐひ。有司の
□の如く。数万の積欠を消除しゐひしかば。民とも業を安し。
不どなく𦾔尓復せり。ありかたき事也き。
文久辛酉の秋 正謙又識
跋
昔者禹招洪水而民安其居后稷教之
稼穡る樹藝培養之道皆行其宜
故官失其政?庶民被害書云歳月日
時易百穀用不成君人者可不鋈干
此哉去歳五月我濃洪水高灾下民昏
墊
公憫然傷之大行賑恤急修堤防民乃定