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【七頁右】
(尚 寧(ねい)王)尚真王の孫にして・尚 懿(い)と云人の子なり・尚永王世
子なりしかば・《割書:天正十七年|万曆十七年》位につく・年廿六《割書:元和六年|泰昌元年》薨・在位三十二年・
寿五十七・世子なし・
○此時の三司官(さんしくわん)・邪那(やな)と云者・明朝(みんてう)にこびて・日本へ朝貢すること
をやむ・こゝにおゐて薩州候(さつしうこう)・使をつかはしてことをたゞすに・邪
那こと〴〵く無礼(ぶれい)をおこなひければ・候おほいにいきどほり・慶長
十三年・駿府の 御城におもむき・
神祖(しんそ)にまみえ奉り・琉球 誅伐(ちうばつ)のむねをこひ奉るに・請(こふ)ところ
をゆるし給ひければ・同十四年二月・薩州 兵舩數百艘(へうせんすひやくそう)を・
つかはして・攻(せめ)うたしむ・同年四月・たゝちに首里にいりて
【七頁左】
王尚寧をとりこにして凱陣(かいじん)す・翌十五年八月六日・候尚寧
をひきぐして駿府へ登(と) 城(ぢやう)す・尚寧薩州に質(ひとしち)たる事
三年・あやまちを悔(くひ)・つみを謝(しや)し・以来属臣(いらいぞくしん)たらんことを
ちかひければ・同十六年・赦(ゆる)して本国に帰(かへ)す・是よりして
薩州へ属(ぞく)し・永世附庸(ゑいせいふやう)の国とはなれり・しかしてより・
將軍家(しやうぐんけ)・慶賀(けいが)のおり〳〵は・使臣(ししん)として王子(わんす)を来朝(らいてう)せしめて・
貢(みつぎ)を献す・又その国の代(よ)かはりす・
將軍家の鈎命(きんめい)を薩州候よりつたへて・位をつがしむ・他日(たじつ)
恩謝(おんしや)の使臣を奉ることはなりぬ・
(尚 豊(ほう)王)尚永王の弟(をとゝ)にして・尚久王の第(だい)四子たり・《割書:天正十八年|万曆十八年》生・